幸雲山法龍寺|食用蛙供養塔
法龍寺の概要
浄土宗寺院の法龍寺は、幸雲山道観院と号します。法龍寺は、幸蓮社雲誉道観法龍上人(元和2年1616年寂)が開山となり慶長年間に創建したといいます。
山号 | 幸雲山 |
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院号 | 道観院 |
寺号 | 法龍寺 |
住所 | 江戸川区船堀6-9-30 |
本尊 | 来迎阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法龍寺の縁起
法龍寺は、幸蓮社雲誉道観法龍上人(元和2年1616年寂)が開山となり慶長年間に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による法龍寺の縁起
(船堀村)法龍寺
浄土宗、東小松川村源法寺末、幸雲山道観院と号す。本尊阿弥陀。開山幸蓮社雲誉法龍、元和2年7月9日寂す。当寺古は京都知恩院末なりしが、第3世深誉の時源法寺の末になりしと云。深誉は元禄15年寂す。
水神社(新編武蔵風土記稿より)
江戸川区教育委員会掲示による法龍寺の縁起
法龍寺
浄土宗で、幸雲山道観院と号します。本尊は阿弥陀如来です。慶長年間に幸蓮社雲誉道観法龍上人が開山しました。北辰一刀流の武芸者北島桃源の墓があります。(江戸川区教育委員会掲示より)
法龍寺所蔵の文化財
- 青面金剛像庚申塔(江戸川区登録有形民俗文化財)
- 大岡勇喜頌徳碑(江戸川区登録有形民俗文化財)
- 食用蛙供養塔
青面金剛像庚申塔
寛文4年(1654)造立で、金剛像の下二三猿が刻まれています。(江戸川区教育委員会掲示より)
大岡勇喜頌徳碑
大賀勇喜は、明治8年に船堀村に移り住んで私立大岡学校を開きました。その子弟が先生の徳をたたえて碑を建てました。(江戸川区教育委員会掲示より)
食用蛙供養塔
山門前にあります。食用蛙は昭和の初め頃から区内に生息し、蓮田や水田が多かったので自然繁殖を続け、輸出するほどになりました。当時は、捕獲は都の条例で許可制でした。終戦後は蛙を捕え、加工業者に渡し、生計を保つものも現われました。供養塔は東京都食用蛙組合によって、昭和27年に建てられた大変珍しいものです。(江戸川区教育委員会掲示より)
法龍寺の周辺図