源法寺|江戸川区東小松川にある浄土宗寺院

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寿覚山源法寺|観智国師開山、宇田川喜兵衛氏中興

源法寺の概要

浄土宗寺院の源法寺は、寿覚山無量院と号します。源法寺は、故嶽上人が天正4年(1576)に創建、増上寺住職ともなった観智国師(貞蓮社源誉存応、天文13年1544年-元和6年1620)が、天正元年(1573)開山、宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛氏(信蓮社覚誉放岳)が中興したといいます。また、観智国師の願いにより、三代将軍徳川家光から寺領6石の御朱印状を拝領しています。観智国師は、源法寺以外にも、蔵前榧寺行徳源心寺などを開山した高僧です。

源法寺
源法寺の概要
山号 寿覚山
院号 無量院
寺号 源法寺
住所 江戸川区東小松川2-16-19
本尊 阿弥陀如来像
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 源法寺幼稚園



源法寺の縁起

源法寺は、故嶽上人が天正4年(1576)に創建、増上寺住職ともなった観智国師(貞蓮社源誉存応、天文13年1544年-元和6年1620)が、天正元年(1573)開山、宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛氏(信蓮社覚誉放岳)が中興したといいます。また、観智国師の願いにより、三代将軍徳川家光から寺領6石の御朱印状を拝領しています。観智国師は、源法寺以外にも、蔵前榧寺行徳源心寺などを開山した高僧です。

新編武蔵風土記稿による源法寺の縁起

(東小松川村)源法寺
浄土宗、増上寺末。寿覚山無量院と号す。本尊弥陀二菩薩を置く。開山は則本山中興一世観智国師にて、中興開山信蓮社覚誉放岳は慶安元年正月28日寂。佛檀に開基厳池院華誉法蓮の木像、及法蓮が女の木像を置。法蓮俗称宇田川喜兵衛定氏、元和6年6月25日死す。定氏の事は二之江村百姓善左衛門の條に載たれば合せ見るべし。寺領6石は大猷院殿の御時、開山観智が願に依て隣村船堀村の内にて賜はりしといへど、後年御朱印を焼失せしゆへ年月等詳ならず。
鐘楼。宝暦11年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による源法寺の縁起

源法寺
浄土宗に属し、寿覚山無量院と号します。
天正元年(1573)に普光観智国師が開山しました。三代将軍家光公から御朱印地6石を授かった名刹です。また、宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛氏の菩提寺でもあります。防火用に堀を巡らしたので、「堀まき寺」といわれました。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による源法寺の縁起

源法寺(東小松川二丁目四三四九番地)
浄土宗で寿覚山無量院と号し芝増上寺の末であった。阿弥陀如来をまつる。故嶽上人が天正四年(一五七六)に開山し、その後観智国師及び信蓮社覚誉放岳上人(慶安元年一月寂)が中興した。かつては三代将軍家光から隣村船堀村に御朱印六石を賜わった古寺である。また慶長元年宇喜新田を開拓した宇田川喜兵衛の菩薩寺で、その木像を安置していたが焼失した。寛政九年の火災で堂宇や古記録を失い、その後防火用に回りに堀をめぐらしたので「堀まき寺」といわれた。昭和十年に本堂を再建したが、これも昭和二十年戦災で焼失した。今の本堂は昭和三十八年の再建である。墓地には宇田川家の墓所があり、江戸時代の狂言作者初代福森久助の墓がある。(「江戸川区史」より)

源法寺所蔵の文化財

  • 青面金剛像庚申塔(江戸川区登録文化財)

青面金剛像庚申塔

高さ127cmの舟形で、上部に青面金剛像と下部に三猿が彫られています。寛文3年(1663)の銘があります。(江戸川区教育委員会掲示より)
福森久助の墓(江戸川区登録)
狂言作者初代福森久助は明和4年(1767)江戸本所に生まれました。「男山娘源氏」で初めてその名があらわれ、市村座の立作者となりました。世話物の脚本を得意とし、常盤津、長唄にも優れた作詞を残しました。文政元年(1818)に52歳で没し、本寺に葬られました。(江戸川区教育委員会掲示より)

源法寺の周辺図