清瀧山安養寺|南葛八十八ヶ所霊場
安養寺の概要
真言宗豊山派寺院の安養寺は、清瀧山安全院と号します。安養寺は、源理法印(貞享元年1684年寂)が開山したといいます。南葛八十八ヶ所霊場74、81、82番札所です。
山号 | 清瀧山 |
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院号 | 安全院 |
寺号 | 安養寺 |
住所 | 江戸川区平井6-53-1 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 光徳幼稚園併設 |
安養寺の縁起
安養寺は、源理法印(貞享元年1684年寂)が開山したといいます。
江戸川区の文化財による安養寺の縁起
真言宗豊山派で、清瀧山安全院と号し、開山は源理法印といわれている。本尊は阿弥陀如来立像である。門を入ると左側に昔から「平井弁天」として親しまれてきた弁天堂がある。毎年2月3日節分会の日には、この弁財天に息災を祈願して、大般若経600巻の転読があり、節分護摩豆まき会が行われている。
また安養寺には江戸時代から江戸時代から行われていたといわれる念仏講がある。これは当寺の檀家の有志がお堂に集まって念仏供養を行ってきたものである。
この「念仏講」は昭和57年2月区登録無形民俗文化財となった。(江戸川区の文化財より)
新編武蔵風土記稿による安養寺の縁起
(中平井村)安養寺
新義真言宗、上小松村正福寺末、青龍山安全院と称す。本尊阿弥陀。開山源理寂年を傳へず。法流の祖を賢意と云、貞享元年12月21日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区史」による安養寺の縁起
安養寺(平井六丁目五三番一号)
真言宗豊山派、もと正福寺の末。清竜山安全院と号し、開山は源理法印といわれるが詳細は不明である。法流の祖は賢意法印で貞享元年に入寂した。本尊は阿弥陀如来立像である。
門前に遍照講の建立した弘法大師と筆太に刻まれた石柱が目につく。門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂がある。これはもと上野不忍池のほとりに住んでいた或る商人に、弁天様が夢枕にたって、平井の地に弁財天をまつるようにとのお告げがあったので、明治十七八年頃お堂が建てられた。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、大般若経六百巻の転読があり、多数の壇信徒が集まって節分護摩豆まき会が行なわれている。山門は安永七年円覚上人の代の建築である。(「江戸川区史」より)
安養寺のもと末寺
安養寺には中平井村内に3ヶ寺の末寺を擁していました。
- 福壽山観音寺
- 甘露山西善院
- 珠寶山円壽院
観音寺
同宗、前寺の末(新義真言宗、中平井村安養寺末)、福寿山と号す。本尊不動。
西善院
同末(新義真言宗、中平井村安養寺末)、甘露山と号す。本尊大日。
円寿院
同末(新義真言宗、中平井村安養寺末)、珠寶山と号す。本尊不動。以上三寺衰微して住僧も定らず、本寺にて預れりと云。(新編武蔵風土記稿より)
安養寺所蔵の文化財
- 安養寺富士塚(江戸川区登録文化財)
- 石造地蔵菩薩立像念仏供養塔(江戸川区登録文化財)
- 石造地蔵菩薩立像庚申供養塔(江戸川区登録文化財)
安養寺の周辺図