嘉桂山成就寺|からたち寺、明治40年に本所から移転
成就寺の概要
天台宗寺院の成就寺は、嘉桂山西光院と号します。成就寺は、嘉祥元年(848)慈覚大師が開山、正和3年(1314)舜慶法印が中興したものと伝えられます。本所にあった時、門前に枳の並木があったことから、「からたち寺」と呼ばれています。明治40年に当地へ移転したといいます。新葛西三十三所観音霊場初番です。
山号 | 嘉桂山 |
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院号 | 西光院 |
寺号 | 成就寺 |
住所 | 江戸川区平井1-24-33 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 逆井保育園 |
成就寺の縁起
成就寺は、嘉祥元年(848)慈覚大師が開山、正和3年(1314)舜慶法印が中興したものと伝えられます。本所にあった時、門前に枳の並木があったことから、「からたち寺」と呼ばれています。明治40年に当地へ移転したといいます。
「江戸川区史」による成就寺の縁起
成就寺(平井一丁目二四番三三号)
嘉桂山西光院と号し天台宗で延暦寺の末、もとは本所竹町にあったが明治四十年現在地に墓地を移し、昭和二年に本堂その他を移転した。本所にあった頃門前にカラタチの並木があったので「カラタチ寺」といわれた。
昔は嘉祥山寂光院と称し、嘉祥元年(八四八)慈覚大師が開山し、後に正和三年舜慶法印が中興したという。本尊は木造阿弥陀如来立像で聖徳太子作と伝えられ、墨田区の木母寺から移したものである。寺宝に神田宗庭筆の千手観音像一幅を所蔵し、墓地に越智二楽(兵学家)、越智鳳台(兵学家)、荻野楳塢(仏学者)、寺島梅里(画家)、富本延寿斉(清元)、那波征甫(浅草紙創始者)、山本梅痴(画家)などの墓がある。(江戸川区史より)
「本所區史」による成就寺の縁起
成就寺は中之郷竹町二十七番地に在り嘉桂山と號し西光院と號す。天台宗にして近江國延暦寺の末である。
嘉祥元年慈覺大師の開基で舜慶法印之を中興した。江戸砂子には正和三甲寅年起立とあり。往古は嘉祥山寂光寺圓仁院と唱ふ。本尊は聖徳太子の作と稱する阿彌陀如来で同寺に嘉祥元戊辰年八月十二日と刻した碑を蔵して居ると云ふ。
門頭に西葛西三十三所観世音第二番紀三井寺寫と標示し境内に林諸鳥の建てた左の如き碑がある。(碑文省略)
又夢宇居士の碑がある。文政八年冬十一月の建設にて菱湖巻大任の撰文である。同寺は大正十四年七月移轉を許可され昭和四年十月十一日府下南葛飾郡小松川町に移つた。(「本所區史」より)
「東京名所図会」による成就寺の縁起
成就寺
成就寺は、中之郷竹町二十七番地に在り。嘉桂山と號し。西光院と稱す。天台宗にして近江國延暦寺の末寺なり。
嘉祥元年慈覚大師の開基にて。舜慶法印之を中興す。江戸砂子には。正和三甲寅年起立とあり。往古は嘉祥山寂光寺圓仁院と唱ふ。
本尊は聖徳太子の作と稱する阿弥陀如来にて。寺に嘉祥元戊申年八月十二日と刻したる碑を蔵すといふ。
門頭に西葛西三十三所観世音第二番三井寺寫と標示す。
境内に林諸鳥の建てし碑あり。
萬葉集巻十四下総國歌曰
爾保杼里能可思加和世乎爾倍須毛曾能可奈之伎乎刀爾多氏米也母
葛西郡本下総國也貞享三年丙寅春閏正月割利根川西属武蔵國云、天明二年壬寅冬十月林居士諸鳥得陸奥國牡鹿郡石建之。
又夢宇居士の碑あり。文政八年冬十一月の建設にて。菱湖巻大任の撰文なり。(東京名所図会より)
成就寺の周辺図