妙覚寺|江戸川区一之江にある日蓮宗寺院

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金嶋山妙覚寺|千葉介宗胤の子頼胤の弟が開山

妙覚寺の概要

日蓮宗寺院の妙覚寺は、金嶋山等覚院と号します。妙覚寺は、弘安7年(1284)等覚院日全上人が開山となり創建、等覚院日全は、千葉介宗胤の子頼胤の弟で、中山法華経寺三世日祐の弟子だといいます。

長勝寺
妙覚寺の概要
山号 金嶋山
院号 等覚院
寺号 妙覚寺
住所 江戸川区一之江6-19-10
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 一之江保育園、別院第六天宮



妙覚寺の縁起

妙覚寺は、弘安7年(1284)等覚院日全上人が開山となり創建、等覚院日全は、千葉介宗胤の子頼胤の弟で、中山法華経寺三世日祐の弟子だといいます。

「江戸川区の文化財」による妙覚寺の縁起

日蓮宗で金嶋山等覚院と号し、もと中山法華経寺の末。弘安7年(1284)等覚院日全上人の開山。その後本山106世順竹院日泰が中興したもので、本尊には祖師日蓮の木像を安置する。裏には法華経堂刻彫日朗とあって日本三体の祖師の一つと伝えられている。寺伝によれば日全上人は千葉介宗胤の弟であるという。
春江橋のたもとにある第六天堂は同寺の持であるが、この縁起については言い伝えが残っている。(「江戸川区の文化財」より)

新編武蔵風土記稿による妙覚寺の縁起

(東一之江村)妙覚寺
同末(法華宗、下総中山法華経寺末)、金嶋山等覚院と号す。弘安7年千葉氏建立と云。過去帳千葉家代々をしるせし内に等覚阿闍梨と云者あり。是開基の人なるべし。開山日全は千葉介宗胤の子頼胤の弟にて、本山三世日祐の弟子なり。康永3年5月25日寂す。本尊釈迦、又本堂の内に日蓮の像あり、坐像にて長1尺余、裏に法華堂彫刻日朗と記す。日本三体の祖師といへり。
妙見堂。
貞治元年の勧請と云。此妙見は千葉代々尊崇の像にて古は利根川の中なる妙見島と云所に安置せしが、其後小松川村に移し、又当村に移すと云。
三十番神社
塔頭、正運坊、梅林坊(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区史」による妙覚寺の縁起

妙覚寺(一之江四丁目一二番地七号)
日蓮宗の古寺で中山法華経寺の末、金島山等覚院という。開山は等覚院阿闍梨日全上人で、千葉介宗胤の子頼胤の弟子として生まれ、本山三世日祐上人の弟子となり、弘安七年(一二八四)妙覚寺を創建した。康永二年五月二十五日入寂。寺中に梅林院、正運坊、千林坊などがあった。
本尊の日蓮聖人木造座像は、日郎上人の作といわれる。『新編武蔵風土起稿』に「本尊釈迦又本堂の内に日蓮の像あり、坐像にて長一尺余、裏に法華堂彫刻日郎と記す、日本三体の祖師といへり」と記されている。又『妙見堂、貞治元年の勧請と云、此妙見は千葉代々尊崇の像にて、古は利根川の中なる妙見島と云所に安置せしが、其後小松川に移し、又当村に移すと云』と見えている。この妙見像は厨子に入り本堂にまつられ、冬至には星まつりが行われている。
寺宝として十界曼荼羅(日全上人筆)、第六天に関する消息断片(日高上人書)、日典に与えた曼荼羅(日祐上人筆)などを所蔵する。飛地の春江町三丁目一六番地に第六天堂があり、第二世日典上人が応安元年に日祐上人を招いで勧請した。「妙応第六尊天略縁起」があり、詳細に記されている。(「江戸川区史」より)

妙覚寺所蔵の文化財

  • 紙本墨書大曼荼羅二幅(区登録有形文化財)

紙本墨書大曼荼羅二幅

曼荼羅は、もともと諸尊の悟りの世界を表現したものといわれ、一定の方式に従って多くの仏や菩薩の像を描いた図のことをいいますが、日蓮宗の曼荼羅は各尊を文字で書き表しています。応安元年(一三六八)と記された曼荼羅は、日祐の筆で、妙覚寺二世日典に授与されました。嘉暦二年(一三二七)のものは、妙覚寺開山日全の筆です。(江戸川区教育委員会掲示より)

妙覚寺の周辺図