金霊山円勝院|観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併
円勝院の概要
真言宗豊山派寺院の円勝院は、金霊山神明寺と号します。円勝院の創建年代等は不詳ながら、円海律師が享禄3年(1530)に中興、元禄2年(1689)に火災で焼失し、別当を勤めていた鹿骨鹿島神社の地から当地へ移転、明治7年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併したといいます。
山号 | 金霊山 |
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院号 | 円勝院 |
寺号 | 神明寺 |
住所 | 江戸川区鹿骨1-25-23 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 円勝院鹿骨保育園併設 |
円勝院の縁起
円勝院の創建年代等は不詳ながら、円海律師が享禄3年(1530)に中興、元禄2年(1689)に火災で焼失し、別当を勤めていた鹿骨鹿島神社の地から当地へ移転、明治7年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併したといいます。
新編武蔵風土記稿による円勝院の縁起
(鹿骨村)円勝院
新義真言宗上小松村正福寺末、金霊山と号す。本尊阿弥陀。中興僧円海、享禄3年寂。(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区史」による円勝院の縁起
円勝院(鹿骨一丁目二五九番一号)
真言宗豊山派で金霊山神明寺と称し、もとは上小松村正福寺の末であった。創建は明らかではないが、享禄三年(一五三〇)円海律師が中興開山したといわれる。本尊に阿弥陀如来をまつる。元禄二年の火災で焼失したのでその後旧地鹿島神社東南の地から移転した。
享保三、四年鷹狩の時には将軍の小休所にあてられたこともある。明治七年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併した。今の本堂は昭和四十八年に改修された。また境内から徳治三年の板碑が発見されている。(「江戸川区史」より)
江戸川区の文化財による円勝院の縁起
真言宗豊山派で、金霊山神明寺と号します。中興開山は享禄3年(1530)円海律師といわれています。本尊は阿弥陀如来をまつっています。元禄2年(1689)に火災で焼失したために、旧鹿骨鹿島神社の南の地から、ここに移転しました。江戸幕府八代将軍徳川吉宗の鷹狩りでは、将軍の小休所になりました。(江戸川区の文化財より)
円勝院所蔵の文化財
- 板碑・徳治3年戊申(1308)4月日銘(江戸川区指定文化財)
- 板碑・応長元年(1311)12月日銘(江戸川区指定文化財)
円勝院の周辺図