大雲寺|役者寺、江戸川区瑞江にある浄土宗寺院

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長行山大雲寺|浅草森田町に創建、歌舞伎役者の墓所が多数安置、役者寺

大雲寺の概要

浄土宗寺院の大雲寺は、長行山専称院と号します。大雲寺は、天蓮社梵誉上人が元和6年(1620)浅草森田町に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)へ、昭和6年当地へ移転したといいます。押上にあったことから歌舞伎役者の墓所が多数安置されており、「役者寺」と呼ばれています。

大雲寺
大雲寺の概要
山号 長行山
院号 専称院
寺号 大雲寺
住所 江戸川区瑞江4-11-5
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 役者寺



大雲寺の縁起

大雲寺は、天蓮社梵誉上人が元和6年(1620)浅草森田町に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)へ、昭和6年当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による大雲寺の縁起

(押上村)大雲寺
浄土宗、京都知恩院末。長行山般舟院と号す。本尊弥陀、運慶の作、長2尺7寸許。開山梵誉貞存、寛永5年2月2日寂。当寺も(前項春慶寺と同じく)古は浅草森田町にありしが、寛永8年回祿に罹りし後移転せらると云。
寺宝。
子安観音一体、行基の作。
加羅施山地蔵一体。
是二体、昔は別に堂ありしに、丙丁に罹りし後、再建ならずと云。(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による大雲寺の縁起

大雲寺は浄土宗で、長行山専称院と号します。元和6年(1620)梵誉上人が二代将軍秀忠から寺領三千坪を賜って浅草の森田町(蔵前)の地に開山しました。寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)に移り、さらに昭和6年現在地に移転しました。歌舞伎役者の墓が多いので「役者寺」の名で知られています。本尊は阿弥陀如来坐像です。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による大雲寺の縁起

大雲寺(西瑞江二丁目三八番地七号)
歌舞伎俳優の墓が多いので昔から「役者寺」として知られている。浄土宗で長行山専称院と号して京都智恩院の直末である。元和五年(一六一九)五月、天蓮社梵誉上人(岡部石見守信隆の子信貞)が二代将軍徳川秀忠の崇信を得て浅草の森田町に寺領三〇〇〇坪を賜わって開山したのが始まりである。その後寛文八年に火災で焼失し、かつ幕府が御米蔵建設のため同年本所押上に移転したが、大正十二年関東大震災で再び焼失し、同十四年現在地に移り、昭和六年に移転を完了した。本尊に阿弥陀如来をまつる。現在裏の池は埋め立てられたが境内には樹木が多く、四季を通じて野鳥の声が聞かれる。俳優の墓石については別に「区内の名墓」の項に集録した。(「江戸川区史」より)

大雲寺所蔵の文化財

  • 歌舞伎役者墓碑群(江戸川区指定史跡)

歌舞伎役者墓碑群

  1. 市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)
  2. 坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)
  3. 三代坂東彦三郎家墓
  4. 初代尾上菊五郎供養碑
  5. 寺島家門弟一同建立碑
  6. 寺島家門弟代々墓
  7. 瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(江戸時代の歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬しています)
  8. 中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)
  9. 三代中村勘三郎墓
  10. 福地家墓
  11. 坂東彦三郎墓(初代より二代合装)
池田狐村の墓
池田狐村(1801-66)は江戸時代後期の絵師です。光琳派の酒井抱一(1761-1828)に師事しました。(江戸川区教育委員会掲示より)

大雲寺の周辺図