長養山春慶寺|押上の普賢さま、鶴屋南北の菩提寺
春慶寺の概要
日蓮宗寺院の春慶寺は、長養山と号します。元和元年(1615)浅草森田町に真如院日理上人が創建、寛文7年(1667)当地へ移転したといいます。1742年に普賢菩薩像が祀られ、以後「押上の普賢さま」と称されるようになりました。四谷怪談の作者として有名な鶴屋南北の菩提寺でもあり、また鬼平犯科帳の舞台にもなっております。
山号 | 長養山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 春慶寺 |
住所 | 墨田区業平2-14-9 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 自動参詣システムえにしの苑 |
備考 | - |
春慶寺の縁起
春慶寺は、元和元年(1615)浅草森田町に真如院日理上人が創建、寛文7年(1667)当地へ移転したといいます。
東京名所図会による春慶寺の縁起
春慶寺
春慶寺は。同町(押上町)六十七番地に在り。長養山と號す。日蓮宗にして。甲斐國久遠寺の末なり。元和元年の創建にして。初め浅草森田町に在りしが。寛文七年此地に移る。開山は日理上人なり。
普賢堂あり。推古天皇の朝百済の僧観勒の携へ来れる普賢像(長二寸八分)を安置す。號して開運の普賢といふ。
堂畔に狂言作者鶴翁南北の冢あり。(東京名所図会)
新編武蔵風土記稿による春慶寺の縁起
春慶寺
同宗同末(法華宗、甲斐国身延久遠寺末)長養山と号す。本尊三寶を安す。開山真如院日理、元和元年起立し、同7年8月6日寂す。当寺は浅草森田町にありしを、寛文7年ここへ移せり。。
普賢堂。長2寸8分の像にして百済国聖明王霊夢を蒙り自ら模像せし所なりと。推古天皇10年に百済国観勒法師、此像を携て来朝し、其後聖徳太子に附属し、又大覚大僧正此像を感得し、三菩薩の郷を勅許を蒙りしかば、開運の普賢と号す。後水尾の皇女林丘寺身や光子内親王深く信じ給ひ自ら金粉を以て彩色し給ふ、中古下総国古河の城下に安置ありしが、寛保年間故有て当寺に移し安すと云。
大黒堂。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)
春慶寺所蔵の文化財
- 木造普賢菩薩立像(墨田区登録文化財)
- 四世鶴屋南北の墓
- 宇野信夫の歌碑
春慶寺の周辺図