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下板橋氷川神社|板橋区氷川町の神社、下板橋村の鎮守

氷川神社の概要

下板橋氷川神社は、板橋区氷川町にある氷川神社です。氷川神社は、元久3年(1206)頃に領主豊島左衛門尉経泰が創建したと伝えられます。江戸期には板橋が中山道の宿場町となり賑わい、下板橋村の鎮守社として祀られていたといいます。明治5年村社に列格、翌年には郷社に列格していました。

氷川神社
氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔鳴尊、稲田姫命
相殿 -
境内社 竹根権現社、小御嶽神社、天祖神社、稲荷神社、浅間神社、諏訪神社、淡島神社、厳島神社、三峯神社、古峯神社、八幡神社、北野神社
祭日 9月10日
住所 板橋区氷川町21-8
備考 下板橋村の鎮守、旧郷社



氷川神社の由緒

氷川神社は、元久3年(1206)頃に領主豊島左衛門尉経泰が創建したと伝えられます。江戸期には板橋が中山道の宿場町となり賑わい、下板橋宿の鎮守社として祀られていたといいます。明治5年村社に列格、翌年には郷社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による氷川神社の由緒

(下板橋宿)
氷川社
これも鎮守也觀明寺
末社神明 八幡 稲荷 辨天 牛頭天王(新編武蔵風土記稿より)

板橋区教育委員会掲示による氷川神社の由緒

御祭神素戔鳴尊、稲田姫命。
創建は第83代土御門天皇の元久3年(1206)頃、この辺りの領主豊島左衛門尉経泰が武蔵国一の宮氷川神社から御分霊を、石神井河畔の景勝の地である当地に勧請したのに始まると伝えられている。
江戸時代は板橋宿の鎮守として広く信仰を集め、今日に至っている。
当社は明治20年に火災にあい、文書や社宝等を焼失した。社殿は翌年再建されたが、昭和20年4月13日の空襲により再び焼失した。戦後昭和29年に御造営奉賛会が結成され、昭和32年に現在の社殿が竣工した。(板橋区教育委員会掲示より)

「いたばしの神社」による氷川神社の由緒

第八十三代土後門天皇の御代元久三年(一二〇六)頃、このあたりの領主豊島左衛門尉経泰が今の埼玉県大宮市の氷川神社から御祭神の素戔嗚命・稲田姫命の二柱の御分霊を奉じて石神井川畔の景勝の地、現在の場所にお社をつくった。豊島氏没落後は土地の住民により、中山道の親宿である板橋宿の鎮守として尊崇されてきた。明治二十二年火災のため焼失し文献資料社宝等一切を失なった。社殿は翌二十三年に再建されたが、今次の戦禍を蒙り又々全焼してしまった。昭和十九年御造営奉賛会が結成され三十二年九月に現在の社殿が竣工された。旧社格は明治五年十月九日村社に定められ、同六年七月五日郷社に列せられた。(「いたばしの神社」より)

東京都神社名鑑による氷川神社の由緒

八十三代土御門天皇の御代の元久三年(一二〇六)ころ、領主豊島左衛門尉経泰が武蔵国一の宮氷川神社から当地に御分霊を勧請されたと伝えられる。豊島氏歿落後は土地の住民が中心となり、中山道板橋宿の鎮守として、由緒と伝統を守り続けて今日に至る。明治二十二年火災にあい、重ねて昭和二十年戦禍をこうむり、重要な文献や社宝のおおかたを焼失してしまったのは、惜しみても余りある。(東京都神社名鑑より)


氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「いたばしの神社」
  • 東京都神社名鑑