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子易神社|板橋区板橋の神社、金井久保村鎮守

子易神社の概要

子易神社は、板橋区板橋にある神社です。子易神社の創建年代等は不詳ながら、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2(1674)年の水帳に当社が記載されていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられます。子安宮または子安明神とも称し、旧金井久保村の鎮守でした。

子易神社
子易神社の概要
社号 子易神社
祭神 木花開耶姫命
相殿 -
境内社 稲荷社
住所 板橋区板橋2-19-20
備考 旧金井久保村鎮守



子易神社の由緒

子易神社の創建年代等は不詳ながら、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2(1674)年の水帳に当社が記載されていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられます。子安宮または子安明神とも称し、旧金井久保村の鎮守でした。

新編武蔵風土記稿による氷川神社の由緒

(下板橋宿)
氷川社
これも鎮守也觀明寺
末社神明 八幡 稲荷 辨天 牛頭天王(新編武蔵風土記稿より)

板橋区教育委員会掲示による子易神社の由緒

御祭神木花開耶姫命
創建年代は不詳だが、境内地が延宝2(1674)年の水帳に記載されており、創建はこれ以前に遡ると思われる。富士浅間神社の御分霊を勧請したと伝えられ、旧金井久保村の鎮守であった。江戸時代は、社号を子安宮または子安明神とも称し、安産・子育ての神として信仰を集めた。近くの福生寺が別当であったが、明治初年神仏分離により子易神社と改称した。
境内に祀られている子安観音は、明和2(1765)年に造立されたもので、当社の別当寺であった福生寺に安置されていたが、同寺が廃寺になった際この地に移されたという。
神社入口にある胸突地蔵は、別名身代わり地蔵とも呼ばれ、元禄8(1695)年に造立されたもので、もとは神社の裏手(現金井窪保育園)にあった。台座には「右上尾」「左河越」と刻まれており、道標にもなっていた。(板橋区教育委員会掲示より)

「いたばしの神社」による氷川神社の由緒

創建年代不詳。古くは武州量島郡金井久保村の鎮守であり、もと富士浅間神社の御分霊を遷祀したものと伝えられ、安産子育の守護神として今はに至る。往時は社号を子安宮又は子安明神社と称し、明治初年まで福生寺(現廃寺)別当が当社を管理してきたが、その後神仏分離し、子易神社と改称された。(「いたばしの神社」より)

東京都神社名鑑による氷川神社の由緒

創建年代不詳。古くは武州豊島郡金井久保村(現板橋二丁目)の鎮守であり、もと富士浅間神社の御分霊ををこの地に遷祀したものと伝えられ、古来安産の神、或いは子育の神として特殊な信仰をあおぎ、またすでに安永(一七七三-八一)、寛政(一七八九-一八〇一)ころにはこの社より守護札等頒布され、安産・子育の守護神として今日に至る。往時は社号を子安宮または子安明神社と称し、明治初年まで豊島郡赤羽村新義真言宗宝幢院末寺福生寺(現廃寺)別当が当社を管理してきたが、その後、神仏分離の結果その支配を離れ、ここに子易神社と改称された。また境外末社であった稲荷神社を当社摂社、稲荷神社に明治四十年合祀した。大正六年に社殿、神楽殿等を改築し、また昭和六年および七年にかけて石垣積をし境内の整備をした。(東京都神社名鑑より)


子易神社の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「いたばしの神社」
  • 東京都神社名鑑