茂呂遺跡|板橋区小茂根の名所旧跡

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茂呂遺跡|茂呂型ナイフ石器発掘の地

茂呂遺跡の概要

茂呂遺跡は、板橋区小茂根にある名所旧跡です。茂呂遺跡は、石神井川右岸にある独立丘陵にある遺跡で、昭和26年に当地を通りがかった学生が黒曜石製の石器と礫群の露出を発見、旧石器文化(先土器文化)の調査が全国的に広がるきっかけとなったといいます。調査の結果、茂呂型ナイフという縄文文化とは全く異質の石器があることが判明、昭和44年には東京都史跡に指定、昭和59年板橋区記念物に登録されています。

茂呂遺跡
茂呂遺跡の概要
名称 茂呂遺跡
みどころ 史跡
区分 板橋区登録文化財
住所 板橋区小茂根5-17
備考 -




茂呂遺跡

茂呂遺跡は、石神井川右岸にある独立丘陵にある遺跡で、昭和26年に当地を通りがかった学生が黒曜石製の石器と礫群の露出を発見、旧石器文化(先土器文化)の調査が全国的に広がるきっかけとなったといいます。調査の結果、茂呂型ナイフという縄文文化とは全く異質の石器があることが判明、昭和44年には東京都史跡に指定、昭和59年板橋区記念物に登録されています。

板橋区教育委員会掲示による茂呂遺跡について

通称”オセド山”と呼ばれるこの独立丘陵は、以前から縄文時代早期の土器破片の散布地として知られていました。
昭和二十六年三月、ここを通りかかった一中学生が、この栗原新道の切通し断面の関東ローム層(赤土)中より、黒曜石製の石器と礫群の露出を見つけました。
この発見がもとで、同年七月明治大学と武蔵野郷土館とが共同で、関東ローム層中に残された旧石器文化(先土器文化・岩宿文化とも呼ばれています)の発掘調査を行いました。その結果「茂呂型ナイフ」と呼ばれる特徴的な石器の存在が明らかになり、日本の旧石器文化研究の端緒となった岩宿遺跡(群馬県)とならび考古学研究史上特筆される成果が得られました。
昭和四十四年、この丘陵の一部は都の史跡(考古)に指定され、さらに昭和六十年には板橋区登録記念物に認定されました。(板橋区教育委員会掲示より)

「いたばし郷土史事典」による茂呂遺跡について

茂呂遺跡(小茂根五丁目一七番)
石神井川右岸の独立丘オセド山で発掘調査された先土器時代の遺跡。北関東の岩宿遺跡で先土器文化が日本で初めて発掘されてから二年後の昭和二六年に、この遺跡が南関東で最初に発掘され、先土器文化の調査が全国的に広がる大きなきっかけとなった。又、先土器文化に茂呂型ナイフという縄文文化とは全く異質の石器があることがこの遺跡で明らかにされたことは学史上重要である。同年三月、当時高校一年生の滝沢浩氏が遺跡を縦断する栗原新道のローム層(赤土)の断面で黒耀石製の石器を発見し、七月に明治大学と武蔵野郷土館が発掘調査した。同四四年都が史跡として指定、同五九年区記念物に登録。五五年オセド山南端のパッケ地点が、続いて五七年丘上のC地点で発掘が行われ、特にC地点では礫群十六、ナイフ形石器九点などが発見された。(「いたばし郷土史事典」より)


茂呂遺跡の周辺図


参考資料

  • 「いたばし郷土史事典」