成増一丁目遺跡|弥生後期の大集落遺跡
成増一丁目遺跡の概要
成増一丁目遺跡は、板橋区成増にある名所旧跡です。成増一丁目遺跡は、マンション建設に伴う事前調査により発掘調査された弥生後期の大集落遺跡です。昭和54年の調査により五十軒余の堅穴住居が発掘、多くが弥生時代末期の竪穴式住居だといいます。

名称 | 成増一丁目遺跡 |
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みどころ | 史跡 |
区分 | 板橋区指定文化財 |
住所 | 板橋区成増1-35成増一丁目北児童遊園 |
備考 | - |
成増一丁目遺跡
成増一丁目遺跡は、マンション建設に伴う事前調査により発掘調査された弥生後期の大集落遺跡です。昭和54年の調査により五十軒余の堅穴住居が発掘、多くが弥生時代末期の竪穴式住居だといいます。
境内掲示による成増一丁目遺跡について
成増一丁目遺跡
昭和56年8月~12月に調査された本遺跡では、縄文時代(約6000年前)の住居跡が20数基と、弥生時代末(約1600年前)から古墳時代初頭にかけての住居跡42軒と3棟の倉庫が出土しました。
弥生時代には、各時期が、大形住居跡を中心に数軒の中小形住居跡で構成された集落が継続的に存在し、その時期は6~7期に細分できます。集落には血縁のある大家族が住み白子川の両岸の遺跡群と共に農耕社会を展開したのでしょう。(戸田建設株式会社・板橋区教育委員会掲示より)
「いたばし郷土史事典」による成増一丁目遺跡について
成増一丁目遺跡(成増一丁目三五番)成増ハイツ南側の児童公園内
白子川右岸台地上、練馬区境に接する地点で発掘調査された弥生後期の大集落遺跡。昭和五四年戸田建設によるマンション建設に伴って事前調査された。約五、五〇〇㎡の発掘区域から、五十軒余の堅穴住居が発掘された。その内四十軒余は、保存のよい弥生後期の竪穴住居祉で、調査担当の鈴木敏弘氏は、集落構造、集落の変遷、土器編年の見直しという、いずれも重要な説を展開して、注目を浴びた。その後東側の隣接地でも関連遺跡として調査が行われている。 現在成増ハイツ南側の児童遊園内に遺跡説明の看板が立てられている。(「いたばし郷土史事典」より)
成増一丁目遺跡の周辺図
参考資料
- 「いたばし郷土史事典」