医王山蓮華寺|豊島八十八ヶ所霊場
蓮華寺の概要
真言宗智山派寺院の蓮華寺は、医王山東光院と号します。蓮華寺の創建年代は不詳ですが、過去帳に法印尊清が延宝九年(1681)寂していると記載があることから江戸時代中期には既に存在していると推定されます。豊島八十八ヶ所霊場60番札所です。
山号 | 医王山 |
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院号 | 東光院 |
寺号 | 蓮華寺 |
住所 | 板橋区蓮根1-10-15 |
本尊 | 薬師如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 豊島八十八ヶ所霊場60番 |
蓮華寺の縁起
蓮華寺の創建年代は不詳ですが、過去帳に法印尊清が延宝九年(1681)寂していると記載があることから江戸時代中期には既に存在していると推定されます。
いたばしの寺院による蓮華寺の縁起
創立年代及び開山は詳にしないが、延宝九年(1681)寂の法印尊清が過去帳に記載されていることから、この頃には既に寺院は成立していたことは明らかである。寺院は初め荒川河畔に建立されていたらしいが、しばしばの荒川氾濫により元禄の初めかそれ以前に現在地に移転したらしい。それは庫裡上棟の棟札(元禄五年三月二十一日)により明確である。その頃の地名を「武州豊島郡志村庄蓮沼村」と称したことが記載されている。その後、宝永二年(1705)三月三十一日に宥賢が堂宇を増築し庫裡を修補したことが現存する棟札に依り知ることができる。その後、しばらく堂宇の頽廃が甚しかったのを日露戦役後に檀信徒の努力によって大いに改築増補されて面目を一新したという。(いたばしの寺院より)
新編武蔵風土記稿による蓮華寺の縁起
(蓮沼村)蓮華寺
同末(新義真言宗、足立郡横曽根村吉祥院末)医王山東光院と号す、本尊薬師を安ず、寶永二年宥賢の時堂宇再建の棟札あり。
稲荷社。
天神社。
疱瘡神社。
観音堂。(新編武蔵風土記稿より)
蓮華寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「いたばしの寺院」