本光山宗仙寺|河内に創建、明治21年当地に移転
宗仙寺の概要
日蓮本宗寺院の宗仙寺は、本光山と号します。宗仙寺は、延宝5年(1677)に大阪天満蓮興寺5世日順上人が河内国若江村に創建しました。明治初年の廃仏毀釈により衰退し、明治21年(1888)日成上人が当地へ移転しました。
山号 | 本光山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗仙寺 |
住所 | 板橋区板橋2-22-14 |
本尊 | 曼荼羅 |
宗派 | 日蓮本宗 |
葬儀・墓地 | 宗仙寺会館 |
備考 | - |
宗仙寺の縁起
宗仙寺は、延宝5年(1677)に大阪天満蓮興寺5世日順上人が河内国若江村に創建しました。明治初年の廃仏毀釈により衰退し、明治21年(1888)日成上人が当地へ移転して再興したといいます。
いたばしの寺院による宗仙寺の縁起
延宝5年(1677)に大阪天満蓮興寺5世日順上人により、本山要法寺の末寺として、佐渡屋彦兵衛を開基として、河内国若江村に創建さる。以後連綿法灯を守り続けたが、明治初年の廃仏毀釈に遭い漸く衰微したのを、寺運の再興を図るべく明治21年(1888)、日成上人により北豊島郡金井窪村字東の既存墓地に移転してきた。後、中興2世日宝上人は本堂庫裡等総欅造り堂宇を整備したが、今次の大戦の空襲により昭和20年4月13日拂暁に総て灰燼に帰してしまった。現在の堂宇は第3世により見事に復興されている。(いたばしの寺院より)
板橋区教育委員会掲示よる宗仙寺の縁起
宗派は日蓮本宗で、本光山宗仙寺と号す。御本尊は、驥尾日守上人御筆の曼荼羅です。
当寺は、延宝5年(1677)に、大坂天満の蓮興寺5世日順上人を開山に、本山京都要法寺の末寺として河内国若江村(現東大阪市)で創建されたのに始まります。開基は蓮興寺檀中の佐渡屋彦兵衛で、寺号は彦兵衛の法名「一心庵宗仙日慶」に由来します。
その後、二百年あまりその地で法灯が守られてきましたが、明治21年(1888)になって、要法寺50世で当寺中興1世の日城上人により現在の地に移転してきました。続く2世日宝上人により本堂や庫裡などの建物が整備されますが、昭和20年4月13日の空襲ですべてが焼失してしまいました。昭和44年に本堂以下の建物が再建され、平成14年には本堂が新築されて現在の姿となりました。
毎年、春秋の彼岸会や8月の施餓鬼会、10月12日のお会式などの法会が営まれています。(板橋区教育委員会掲示より)
宗仙寺の周辺図
参考資料
- 「いたばしの寺院」