芥志山薬王庵。準西国稲毛三十三観世音霊場
芥志山薬王庵の概要
芥志山薬王庵は、川崎市宮前区平にある堂庵です。芥志山薬王庵の創建年代等は不詳ながら、京都から遁れて当地に隠遁した杉田藤太(平殿)の後裔で、平村の名主を代々務めてきた平左衛門家の屋敷地に祀られている堂庵です。平左衛門家の山田平七翁は、宝暦14年(1764)に準西國稲毛三十三ヶ所観音霊場を開創、当庵は泰平山東泉寺と共に33番(結番)となっています。
山号 | 芥志山 |
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院号 | - |
寺号 | 薬王庵 |
住所 | 川崎市宮前区平4-17-38 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
芥志山薬王庵の縁起
芥志山薬王庵の創建年代等は不詳ながら、京都から遁れて当地に隠遁した杉田藤太(平殿)の後裔で、平村の名主を代々務めてきた平左衛門家の屋敷地に祀られている堂庵です。平左衛門家の山田平七翁は、宝暦14年(1764)に準西國稲毛三十三ヶ所観音霊場を開創、当庵は泰平山東泉寺と共に33番(結番)となっています。
境内掲示による芥志山薬王庵の縁起
準西國稲毛三十三ヶ所観音霊場成就供養塔について
発願者山田平七翁は、当地山田家の中興の人としてまた第三十三番東泉寺世話人惣代として、日頃より信仰心篤く辛苦十数年の精進努力の結果、この郷土に西國に準ずる霊場として準西國稲毛三十三ヶ所の観音霊場を開きました一人でも多くの人々の心のよりどころとなるようにと宝暦十四年四月十五日三十三ヶ所の霊場が成就したことを記念し報恩感謝のしるしとして建立された供養塔です。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による芥志山薬王庵の縁起
(平村)
薬師堂
村の名主平左衛門が屋敷地の内にて、即同人の持なり、大さ三間四方薬師堂の三字を扁す、本尊薬師如来は坐像にして長八寸。
舊家者百姓平左衛門
氏を山田といへり、今村の名主なり、かれは小田原北條家の浪人片山彌兵衛が子孫なりとて、家系一巻を蔵す、其文によれば片山氏もかの葛山が一族の如く見え、今其大略を摘みて下文にしるせり、昔稲毛領平村の住人に杉田藤太と云人あり、もとやんことなき人なりしが、如何なるよへにや洛中を遁れて關東へ下り、初め鎌倉鶴ケ岡の邊杉田と云所に住し、在名をもて杉田と號しける、其頃鎌倉将軍家の世となりしゆへ、武家をさけ、ゆかりに付て當所に来り住せしが、農民のわざも又ものいとはしければ、止む事を得ず武家に仕へて僅に此平村一郷を宛行はれけり、それが子孫に至り諸國亂れてしばしば兵革の事ありける、然るに駿州の今川家に北條新九郎と云人あり、本國は勢州のものにて北畠の浪人なりといへり、此人武道に勝れたりしかば、相州小田原へ下りて武相二州を今川より預けられしにより、其頃も藤太が子孫を土人葛山平殿とて仰ぎ尊びけるが、僅の地なれば獨立しがたく、やがて小田原へ仕へける、然るにかの北條家は四代の其間關東に武威を振ひしが、左京大夫氏直に至り天正十八年小田原落城の時、杉田氏も討死して所領を失へり、其時かの庶流なりし片山彌兵衛と云ものあり、もと當所の名主にて小田原分國の頃村の長をつとめ、其身はいやしけれど武勇の聞えありしかば、其頃の戰記にも名を顯せしものなり、落城の時も彌兵衛は其子圖書と同くしばしば奮戰しからうじて死を免れ遁れ歸りける、按に【北條五代記】總州國府臺合戰の條に云、天文七年十月七日巳の刻に至りて合戰始まる、片山彌兵衛前登にすゝみ首をうち取所に、味方大藤左京亮弓手をはせ通る、幸と甲の袖にとり付片山彌兵衛一番首の證人よと云しとあり、此時より小田原落城まで五十餘年に及べば、彌兵衛已に極老の年に至りしなるべし、年代疑ふべし、かくて平殿が二人の女子を養育しけるに、成人の後下菅生の内蔵敷と云所の名主長左衛門と云ものへ嫁しける、いま一人の女も山田久左衛門とで、故あるものゝ弟平左衛門と云ものを迎へ、かれをむことなし、是に妻せ己が跡を譲れり、かの彌兵衛は片山氏にて、久左衛門は山田氏なれば、しはしが間片山田と名乗けるが、後は又山田氏にかへれりと云、此平左衛門後に薙髪して昴運と號す、寛文二年三月二十六日百歳にて歿せり、今の平左衛門は其子孫なり、こゝに又平殿の伯父に桂原新左衛門と云人ありしが、狢澤の邊に山居せり、文禄の頃歿せり、其葬所を新左衛門塚と云う、圖書は實子某を率て下菅生の内下長澤に移り、地所を買て相續せしめたり、平殿の系圖は長女なればとて蔵敷の方へ持行しかば、かの長左衛門が家に蔵せり、其子の内に出家せしものありて、多磨郡北見の慶元寺へ住職の頃、かの平殿の系圖は俗家に収るも憚りありとて、慶元寺へ納めけるが、後回禄に逢て失せりとぞ、今平左衛門が傳ふる所は先祖昴運が曾孫女の長壽にて、尼となり近き頃までも世にありしかば、其覺へしことどもを記せしものなりといへば、實を傳へし事もあるべけれど、年代の差ひたる事多くして、疑ふべき事少なからず、(新編武蔵風土記稿より)
芥志山薬王庵の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿