国府津菅原神社。小田原市国府津の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

国府津菅原神社。平安時代の正暦5年創建

国府津菅原神社の概要

国府津菅原神社は、小田原市国府津にある神社です。国府津菅原神社は、里人の霊夢により正暦5年(994)に祀られたと伝えられます。国府津村の鎮守として祀られ、江戸期には安楽院が別当を勤めていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治42年諏訪社・八幡社・浅間社・稲荷社・神明社二社・日枝社を合祀、大正6年村社に指定されていました。

国府津菅原神社
国府津菅原神社の概要
社号 菅原神社
祭神 菅原道真朝臣
相殿 天照皇大神、天照皇大神、大山津見命、建御名方神、倉稲魂命、木花咲耶姫命
境内社 諏訪社、稲荷社
祭日 例大祭4月25日、1月初天神、12月納め天神
住所 小田原市国府津1752
備考 -



国府津菅原神社の由緒

国府津菅原神社は、里人の霊夢により正暦5年(994)に祀られたと伝えられます。国府津村の鎮守として祀られ、江戸期には安楽院が別当を勤めていました。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治42年諏訪社・八幡社・浅間社・稲荷社・神明社二社・日枝社を合祀、大正6年村社に指定されていました。

境内掲示による国府津菅原神社の由緒

国府津の天神さんで知られる菅原神社は、正暦5年(994)に創建されたと伝えられています。祭神は、菅原道真公(845~903)、天照大神ほか七神が合祀されています。
境内の「曽我の隠れ石」と呼ばれる大きな石には、「曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つためにこの石に隠れていたが、警護が厳しく涙を呑んでそのまま見送った」という伝承が残っています。
水神の傍らにそびえる御神木のムクノキは、江戸時代の記録にも見える老木で、小田原市天然記念物に指定されています。
その他境内には、道真公が詠んだ「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春なわすれそ」を記した石碑をはじめ、様々な石造物があります。また、「撫で牛」は道真の神使とされており、病気治癒に効くとされています。更に、「とおりゃんせ」発祥の地の石碑も建立されています。
一月に初天神、四月に例大祭、十二月に納め天神が行われるとともに、学業成就や試験合格を願う人々など多くの参拝客で賑わいます。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による国府津菅原神社の由緒

(國府津村)
天神社
村鎮守とす、神體木立像、本地佛十一面觀音、(安楽院に置、)例祭六月朔日、弘治元年五月、北條氏の文書に(寶金剛寺蔵、)當社修造の時は、當所の番匠に命ずべき由見ゆ又天正十五年九月、小田原より、當社中に於て制禁の事を、別當安楽院に令する書あり、(其文は安楽院の條に出す、)幣殿・拝殿あり、神木に楠・槻・椋・山礬等の老木あり、(各圍一丈餘、)
△神楽堂 庵(社を守るもの住す、)
△末社 諏訪(別に除地を附す、社前に寛永三年の石燈籠あり、)稲荷(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による国府津菅原神社の由緒

当社の創立年月日は不詳であるが、古老の口碑に依れば正暦五年(九九四)六月晦日の黄昏時納涼の為里人が多数海岸に集った時、珍奇な一木船が汀に漂い着いた中に束帯した一貴人があって、綿の袖で招き給うた。里人はこの貴人を招いて麦飯に麦粉をかけて饗した。その夜里人の夢枕に貴人が現れて告げて日く「京の菅神を崇敬せば幸多からん」と、目覚むれば貴人の姿はなく菅公の肖像一軀が残されていた。里人は之を御神体として神社を創建したとのこと。
神社は現在地であって、昔時は諏訪の森と称して諏訪社があり、之を合祀した。それで年々六月晦日を祭典の日と定め、麦飯に麦粉をかけて必ず之を神前に奉供した。又神楽は相模湾港海岸に渡御し小総の里の海岸で神事を行った。
祭典日は明治の初年改暦と共に七月晦日に改められ、更に明治三十一年から四月二十五日が例祭日となった。明治六年七月三十日足柄県に依って村社に定められ、明治四十二年八月四官命に依って、諏訪社(祭神建御名方神)八幡社(祭神誉田別命)浅間社(祭神木花咲耶姫命)稲荷社(祭神倉稲魂命)神明社二社(祭神大照皇大神二柱)日枝社(祭神大山津見命)の七柱を当社に合祀したが、八幡社(祭神誉田別命)は昭和三十五年十月十三日旧氏子の希に依って旧地に分祀した。当社は大正六年十一月九日指定神社となった。
古来当神社の別当は安楽院であったが、明治維新の神仏分離の法令によって神官が奉仕することになった。明法三十五年火災によって社殿を全焼し、明治四十二年再建された。(「神奈川県神社誌」より)


国府津菅原神社所蔵の文化財

  • 菅原神社のムクノキ(小田原市指定天然記念物)

菅原神社のムクノキ

この木は、「国府津の天神さん」で知られる菅原神社の境内の東側、水神さんの祠の傍らに立つ老木です。
『新編相模国風土記稿』の天神社の項を見ると、「神木に楠・槻・椋・山礬の老木あり、各囲一丈余」とありますが、このうち椋とあるのが、この木を指しているものと思われます。それは、境内にクス(楠)、ケヤキ(槻)、タブノキ(山礬)などが生育していますが、神木に該当するような大木はなく、樹齢からみて恐らくこのムキノキだけが残ったものと思われます。
また、この木は主幹の地上部から数mに及ぶところまで空洞が目立ちますが、古くから村の鎮守としての「天神さん」とともに、地域の人々の長い歴史を見守りながら生き続けている老木です。(小田原市教育委員会掲示より)

国府津菅原神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿