天福寺。南足柄市千津島にある臨済宗円覚寺派寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

天福寺。瀬戸文右衛門建立の千津島観音堂

天福寺の概要

臨済宗円覚寺派寺院の天福寺は、玖富山と号します。天福寺は、記室譲公禅師(文明3年1471年寂)が応仁2年(1468)に開山したといいます。文禄3年(1594)には名主瀬戸文右衛門が観音堂を建立、「竹皮の観音さん」と称され、安産と子育て祈願を願う参詣者を集めていたそうです。明治9年には龍源寺の大嶋仁宗が天福寺に閑居、親交のあった福澤諭吉翁が当寺をしばしば訪れ、当地村民は諭吉翁から多大な影響を受けたことから、町村制施行に際して「福澤村」と名付けたといいます。七福寺お寺めぐりの福禄寿です。

天福寺
天福寺の概要
山号 玖富山
院号 -
寺号 天福寺
本尊 延命地蔵像
住所 南足柄市千津島9
宗派 臨済宗円覚寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



天福寺の縁起

天福寺は、記室譲公禅師(文明3年1471年寂)が応仁2年(1468)に開山したといいます。文禄3年(1594)には名主瀬戸文右衛門が観音堂を建立、「竹皮の観音さん」と称され、安産と子育て祈願を願う参詣者を集めていたそうです。明治9年には龍源寺の大嶋仁宗が天福寺に閑居、親交のあった福澤諭吉翁が当寺をしばしば訪れ、当地村民は諭吉翁から多大な影響を受けたことから、町村制施行に際して「福澤村」と名付けたといいます。

「七福寺お寺めぐりin南足柄」掲示による天福寺の縁起

玖富山天福寺は、応仁2(1468)年、開山記室譲公禅師によって千津島に開かれました。酒匂川の洪水や火災など、幾多の災害に遭ってまいりましたが、文禄3(1594)年には名主の瀬戸文右衛門によって観音堂が建立されました。ここには如意輪観世音菩薩が安置されており、毎年7月18日には毎年諷経が厳修されています。また、17年に一度中開帳、33年に一度本開帳が厳修されます。別名「竹皮の観音」とも呼ばれ、安産の観世音菩薩としても親しまれています。(「七福寺お寺めぐりin南足柄」掲示より)

「南足柄市史」による天福寺の縁起

千津島村長昌院・天福寺
両寺院ともに珠明寺の末寺である。珠明寺は鎌倉の円覚寺末寺であるとともに、この二寺院の本山であり、こうした寺を中本山あるいは小本山という(藤井学、前掲論文)。
長昌院は八畝歩余りの寺地をもつ小寺であったが、明治六年(一八七三)二月に廃寺となり、寺地は入札によって処分された。天福寺は無住の時期もあったが現存している。寛延二年(一七四九)以前、同寺が無住だったため、隣村の岡野村村役人が寺社奉行に対し「天福寺無住に付き、本寺班目村珠明寺代判にて御役下し置かれ候様」と嘆願した。つまり、無住になった天福寺に代わって、本寺の珠明寺に宗門改めなどの寺判を押してもらえるよう要求したのである。(「南足柄市史」より)

新編相模國風土記稿による天福寺の縁起

(千津島村)
天福寺
玖富山と號す、臨済宗、(班目村珠明寺末、)開山譲公、(文明三年十月九日寂す、)延命地蔵を本尊とす、
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觀音堂
如意輪觀音を安ず(長五寸、惠心作)、縁日六月十九日、前夜相撲を興行す、天福寺持、 (新編相模國風土記稿より)


千津島観音堂について

千津島観音堂の由来
平安時代以前のことです。難産で妻子を失った千津島の名主瀬戸右衛門の祖が、妻子の供養と人々が二度と自分のような悲しみを味わうことのないようにと祈願して建立したと伝えられています。以来、安産と子育ての観音様として足柄平野一帯の多くの人々の信仰を集めていました。特に十七年に一度の中開帳・三十三年に一度の大開帳には、近在、近郷の念仏講が集って供養したということです。
また、別名の「竹皮の観音さん」という愛称は、境内の北側に竹やぶがあり、竹の子が成長して竹の皮が剥げ落ちる様子にあやかって、竹の子のように子どもが健やかに成長するよう願を込めて呼ばれたものといわれています。
この地方では、妊娠するとお観音さんの「お腹帯」を借りて安産を祈りました。この「お腹帯」は、「ご開帳」で使用された禅布で作られており、赤糸の布のときは女の子、青糸のときは男の子と、その色によって生れてくる子の性別を占いました。今でも、珠明寺に依頼すれば「お観音さんのお腹帯」を借りることができます。
千津島観音堂は、明治初期に火災に遭い、現在の建物は、明治二十四年(一八九一年)に修復再建されたものです。堂内に残されている寄進者の銘板を見ると広く足柄平野一円から寄進されて再建されたことがわかります。また、合天井の板絵にもそれぞれ、寄進者の名が残されています。
寄進者の銘板には、明治九年以来しばしば千津島の地を訪れた福澤諭吉翁が観音堂の再建に拾円を寄進されたことが記されていましたが、その部分は、現在では欠落してしまいました。(境内掲示より)

天福寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模國風土記稿
  • 「南足柄市史」