天祖神社|旧堀切村鎮守
天祖神社の概要
天祖神社は、葛飾区堀切にある神社です。天祖神社は、旧堀切村の鎮守で、永禄3年(1560)に勧請されたといわれます。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 天照大神、誉田別命、菅原大神 |
相殿 | - |
境内社 | 豊受稲荷神社、天満宮、八幡神社 |
例祭日 | 9月16日 |
住所 | 葛飾区堀切3-11-2 |
備考 | 旧堀切村鎮守 |
天祖神社の由緒
天祖神社は、永禄3年(1560)に勧請されたといわれます。
「葛西志」堀切村の条に「神明社 除地303坪、村の西北により有。永禄3年(1560)の勧請にして、極楽寺持なり」とある。堀切の地名は古く応永5年(1398)の「葛西御厨注文」に「堀切 14町1段半」と載せ、鎌倉時代中期以降、伊勢皇大神宮の神領地であった関係から、この社も奉祀されたものと推定される。当社の本殿は弘化2年(1845)に新築され、明治10年・同23年・同43年の修築を経て、昭和41年8月、現在の社殿が造営され、拝殿は明治2年・同43年に修覆されたものである。合祀の誉田別命すなわち八幡宮は「新編武蔵風土記稿」では神明社とは別の神社とし、しかも神明社と同じく永禄3年の鎮座で、別当も同じ極楽寺としている。しかし一説には、武蔵石浜城主千葉介実胤の家臣窪寺蔵人頭胤夫が、武運長久祈願のために宝徳元年(1449)城内に勧請し、康正2年(1456)6月、胤夫父子は、戦死して八幡宮の傍らに葬られ、その墳墓を余に窪寺塚と呼んだ。八幡宮の社殿は天正年間(1573-97)大洪水によって流失し、現在の江東区深川富ヶ丘八幡宮(富岡八幡宮)の地にとどまったともいうが、その真偽は不明である。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
天祖神社の周辺図