正覚山妙源寺|天目上人が創建、関東大震災後当地へ移転、安積良斎の墓所
妙源寺の概要
日蓮宗寺院の妙源寺は、正覚山と号します。妙源寺は、嘉元2年(1304)あるいは建武年中(1334-36)天目上人が創建したと伝えられ、十三世日珖(-1696)が再興、本所番場町(墨田区東駒形1丁目)に移転してよりは大名・儒者・歌舞伎役者の菩提寺として栄えたといいます。関東大震災後の大正15年当地へ移転しました。江戸時代後期の儒学者、安積良斎の墓所があります。
山号 | 正覚山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙源寺 |
住所 | 葛飾区堀切3-25-16 |
本尊 | 三宝祖師 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 妙源寺正覚会館 |
備考 | - |
妙源寺の縁起
妙源寺は、嘉元2年(1304)あるいは建武年中(1334-36)天目上人が創建したと伝えられ、十三世日珖(-1696)が再興、本所番場町(墨田区東駒形1丁目)に移転してよりは大名・儒者・歌舞伎役者の菩提寺として栄えたといいます。関東大震災後の大正15年当地へ移転しました。
葛飾区寺院調査報告による妙源寺の縁起
嘉元2年(1304)あるいは建武年中(1334-36)、天目上人(1257-1337、日蓮上人の弟子で中老僧の一人)の創立と伝えるが、その場所は明らかではない。江戸時代のはじめには退廃したが、十三世日珖(-1696)が再興し、江戸本所番場町(墨田区東駒形1丁目)に移ってからは、大名・儒者・歌舞伎役者の菩提寺として栄え、中でも幕府の金座役人後藤氏は天正以来の檀徒として、当寺の再建に力を注いだという。大正12年9月の関東大震災で焼失、同15年現在地に移転した。墓地には、幕府昌平坂学問所の教官安積艮斎(都文化財指定)・東条一堂・大名六郷家・歌舞伎役者森田勘弥・河原崎権十郎歴代等の墓がある。 (葛飾区教育委員会葛飾区寺院調査報告より)
「本所區史」による妙源寺の縁起
妙源寺は同町(番場町)二十二番地に在り正覺山と號し日蓮宗にして下野國妙源寺の末である。開山は天目上人で相傳へて嘉元二年の創立なりといふ。當寺も震災後南葛飾郡南綾瀬村に移る事になり大正十四年七月付をもつて許可された。 (「本所區史」より)
妙源寺所蔵の文化財
- 安積艮斎墓(東京都指定文化財)
妙源寺の周辺図