南明山観音院|小菅の半僧坊
観音院概要
天台宗の観音院は、南明山寿福寺と号します。観音院は、もと浅草東光院の末寺で、本尊である半僧坊大権現から、半僧さんとして親しまれています。観音院の創建年代は不詳ですが、慶長16年(1611)江戸橋田所町から谷町へ移転、正保元年(1644)浅草新寺へ、明治25年当地へ移転しました。
山号 | 南明山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 寿福寺 |
住所 | 葛飾区小菅1-19-14 |
本尊 | 准胝観世音菩薩坐像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 小菅の半僧坊 |
観音院の縁起
観音院の創建年代は不詳ですが、慶長16年(1611)江戸橋田所町から谷町へ移転、正保元年(1644)浅草新寺へ、明治25年当地へ移転しました。
葛飾区寺院調査報告による観音院の縁起
創立の年代不明、慶長16年(1611)江戸橋田所町から谷町へ移り、正保元年(1644)、浅草新寺町へ替地となり、さらに明治25年2月、現在地へ移転した。この寺地には古くから小菅の半僧坊として地元住民の信仰を集めた堂があり、綾瀬講などが結ばれていた。寺には今も半僧坊の像が安置されている。(以下省略)(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
御府内寺社備考による観音院の縁起
江戸浅草東光院末
南明山寿福寺観音院、境内拝領地805坪内門前町屋アリ。
右は起立年代相分り不申。慶長16亥年、田所町谷寺町引地、正保元甲申年当地江替地被仰付候。
中興開基栄覚法印。寛永6巳年11月入寂。
客殿。本尊阿弥陀如来、丈2尺5寸立像。
準胝観音、丈1尺5寸。古ハ別二堂有之候処類焼後客殿二安置仕候。
護摩堂、2間半四方塗屋造り。不動尊、丈2尺8寸余。四大尊、丈1尺4寸宛々。四大尊丈1
尺四寸宛々。二童子、丈1尺尺5寸宛々。
稲荷社、9尺四方塗屋造り。拝殿、間口8尺奥行5尺。稲荷、丈5寸。
右入船稲荷と称ス。延宝年中安置。
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
観音院の周辺図