法光山蓮昌寺|松本阿闍梨日念が創建
蓮昌寺概要
日蓮宗寺院の蓮昌寺は、法光山と号します。蓮昌寺は、正安2年(1300)松本阿闍梨日念が道昌寺として創建したと伝えられます。
山号 | 法光山 |
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院号 | - |
寺号 | 蓮昌寺 |
住所 | 葛飾区小菅4-20-35 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 三宝祖師・四菩薩・文殊普賢・不動愛染・四天王像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 墓地販売中 |
蓮昌寺の縁起
蓮昌寺は、正安2年(1300)松本阿闍梨日念が道昌寺として創建したと伝えられます。慶長19年(1614)三代将軍徳川義光の命により蓮昌寺と改号しました。
葛飾区寺院調査報告による蓮昌寺の縁起
正安2年(1300)12月、松本阿闍梨日念の創立。日念はもと天台宗の学僧であったが、日頂の下で転宗し、当寺の他、結城・越前福井・越前高田の各妙国寺および房州南無寺の妙福寺を開創した。当寺は創建当初は現境内の裏側にある古隅田川付近、袋耕地にあったが、室町時代末期、旧街道の消滅とともに荒廃し、慶長19年(1614)三代将軍義光が亀有付近で放鷹の際、境内の蓮花を賞賛し、蓮昌寺と称するように命じたので、以後この寺名に改めたと伝えられる。
明暦2年(1656)、五世日敢は堂宇を再建し、万治3年(1660)六世日円は七面大明神を勧請し、寛政4年(1792)4月、11代将軍家斉の放鷹以来、将軍の御膳所に指定された。文化8年(1811)21世日隣は鐘楼を再建したが、安政2年(1855)の大地震に諸堂悉く大破して古記録・宝物等産卵紛失し、文久2年(1862)25世日深に至って再建した。近世、寺運衰廃し、31世日賢以来、復興に努め、本堂・庫裡・七面堂・三光堂・日朝堂等みな修繕して、面目を一新した。
本堂裏の墓地に延享5年(1748)建立の開山碑があるが、碑面の磨滅が甚だしいので、近年傍らに新しい碑に改めた。(以下省略)
(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による蓮昌寺の縁起
蓮昌寺
法華宗下総国葛飾郡真間村弘法寺末、法光山と号す。開山日念、建武元年正月27日寂す。本尊三寶を安ず。寺僧の傳に古は道昌寺と号し草庵に等き寺にて本寺弘法寺の持なりしに、大猷院殿此邊御放鷹の時渡らせられ、堂前の池に蓮花の盛に開きしを上覧ありて、寺を蓮昌寺と改号すべき旨台命ありしより今の寺号となれりと。寛政4年此邊御遊猟の時始て御善所となさられしより、今も御放鷹の時の御善所となれり。
寺宝。
日蓮筆曼荼羅一幅。文永6年己巳3月4日と落款あり。
同消息四通。
七面社。村の鎮守なり三十番神及び天神を相殿とす。
三光天子社。
稲荷社。
日蓮石像、朝日の祖師と称す上尾あり。
鐘楼。明和2年鋳造の鐘を掛。(新編武蔵風土記稿より)
蓮昌寺所蔵の文化財
- 木造日念上人坐像(葛飾区指定文化財)
- 木造日蓮聖人坐像(葛飾区指定文化財)
- 蓮昌寺板絵類 20面(葛飾区指定文化財)
蓮昌寺の周辺図