三圍山延命寺|三囲神社の旧別当寺、昭和2年当地へ移転
延命寺の概要
天台宗寺院の延命寺は、三圍山真珠院と号します。近江国三井寺の大僧都源慶(-1352)が三囲神社の別当寺として創建、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転したといいます。明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年当地へ移転しました。新葛西三十三所観音霊場3番です。
山号 | 三圍山 |
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院号 | 真珠院 |
寺号 | 延命寺 |
住所 | 葛飾区白鳥4-13-23 |
本尊 | 地蔵菩薩半跏踏下像 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | 墓地 |
備考 | - |
延命寺の縁起
延命寺は、近江国三井寺の大僧都源慶(-1352)が三囲神社の別当寺として創建、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転したといいます。明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年当地へ移転しました。
葛飾区寺院調査報告による延命寺の縁起
近江国三井寺の大僧都源慶(-1352)が三囲稲荷再興に際して傍に草庵を営み、ついで本社等を造立し、延命寺と称した。のち社寺ともに水戸藩の用地となり、元禄6年(1693)中之郷に移り、従来どおり三囲稲荷(三囲神社)の別当職を勤めたが、明治に至って稲荷社は独立し、大正12年の大震災に焼失、寺は昭和2年4月現在地に移り、本堂は同12年、鐘楼は21年に完成した。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
「本所區史」による延命寺の縁起
延命寺
延命寺は中之郷八軒町十九番地に在り三圍山と號し眞珠院と稱した。天台宗にして淺草寺の末である。文和元年僧源慶の建る所にしてもと三圍稲荷社の別當であつた。往昔其の舊地は水戸邸の處で水戸家の下屋敷造營に當り現地に移つたのである。當寺に瓦不動尊がある。江戸砂子に瓦不動尊 中之郷瓦師中氏彦六作。此彦六は無双の名人にて瓦をもつて佛像を作るに、其形相佛工の及ばざる所をよくす。正保四年九月高野山蓮華定院の十職盛遠法印所望によつて、俱梨伽羅不動の像を作る。かの寺の開山行勝上人は具梨伽羅明王の化現なれば、あまねく諸國において佛工畫師等に命じてうつすに、終に心にかなはず。中氏が瓦をもつて作るを見て、はじめて望をとげたりと感心のあまり、件の旨趣を書て彦六にあたふ。彼が家にありて珍とせり。此者むかしは今の雑木はやしの地に住すと也。東都瓦師のはじめは寺島氏と此彦六なりとうつてゐる。同寺は昭和二年四月付を以つて府下南葛飾郡龜青村大字青戸西前沼に移轉する事になつた。(「本所區史」より)
延命寺の周辺図