妙円山正行寺|関東大震災後、浅草新寺町から移転
正行寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の正行寺は、妙円山と号します。正行寺は、円受法師(承応3年1654年寂)が開山となり三河国に創建、その後浅草元鳥越に土地を拝領し移転、正保2年には浅草新寺町に移転したといいます。関東大震災後、当地に移転しました。
山号 | 妙円山 |
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院号 | - |
寺号 | 正行寺 |
住所 | 葛飾区四つ木5-15-21 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正行寺の縁起
正行寺は、円受法師(承応3年1654年寂)が開山となり三河国に創建、その後浅草元鳥越に土地を拝領し移転、正保2年には浅草新寺町に移転したといいます。関東大震災後、当地に移転しました。
葛飾区寺院調査報告による正行寺の縁起
1624年僧日照が三河国に創立。翌年浅草元鳥越に土地を拝領。さらに1645年二世円誓は浅草新堀新寺町に寺を移した。安政2年(1855)の大地震に焼失し、明治維新に境内地及び門前地を上地し、明治12年10月、寺地の払下げを受けた。大正12年9月の関東大震災に焼失し、昭和3年墓地を現在地に移し、さらに同20年、戦災に本堂等が全焼し、同23年11月現在地に本堂等を建築した。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
御府内寺社備考による正行寺の縁起
京都西六条龍谷山本願寺末 浅草新寺町
妙円山正行寺、境内古跡拝領地405坪
起立之儀者、元三河国酒井村二住居仕候得共、年号月日等相分不申候。
開山円受法師。承応三年午六月十九日遷化。右円受儀
東照宮様御治世之砌、三河国当地江罷越、元鳥越二居住仕。右地面吉田久米之助殿拝領ニ相成。正保二年
大猷院様浅草江御鷹野二被為成候節、諸鳥数多御手二人無上御機嫌之節、御杖ニ而御差図被為遊、右地面拝領被 仰付候。地面受取候者同年酉閏五月二日。寺社御奉行者松平出雲守殿御立合二而請取申候。則出雲守殿手紙両通御座候処、九月急火ニ而類焼仕候。
中興開基誓円。享保元申年九月十日遷化。
本堂、間口2間半奥行4間半
本尊阿弥陀如来木立像、丈2尺4寸余聖徳太子作
右本尊之儀者、大坂高原平兵衛正俊と申者関東江罷下住居仕候処、其頃
大猷院様御治世之時、正月二日夜獏之御夢御覧被為遊。如御夢獏形御自図被為遊、井上河内守殿江被 仰付。則河内守殿当寺江御出尋御吟味之上、高原平兵衛江被 仰付。則出来、献上仕候処、深 御意二人、為御褒美浅草寺町地面被下置。則只今之高原屋鋪是也。右御香炉当寺二納り是も類焼之砌焼残り形チ斗御座候。安置仕候弥陀之尊像、聖徳太子之作、日本二希なる霊像を当寺二寄附仕候。則今之本尊是也。又仏前之香炉大小五ッ者正俊之作也。九月類焼二三ッ焼失仕候。
什物
一、獏ノ香炉。
一、丁子風炉
一、柚ノ形焼物
一、御茶碗
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
正行寺の周辺図