稲付香取神社|稲付村の総鎮守、上野東照宮の内陣を移築した本殿
稲付香取神社の概要
稲付香取神社は、北区赤羽西にある香取神社です。稲付香取神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には稲付村の鎮守だったといい、当社本殿は徳川家光の霊夢により上野東照宮の内陣を慶安3年(1650)に移築したものだといいます。明治42年諏訪社を合祀したといいます。
社号 | 稲付香取神社 |
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祭神 | 経津主神、大山咋神 |
配祀 | 建御名方神 |
境内社 | 稲荷神社、榛名神社、古峰神社、御嶽神社、大山阿夫利神社 |
住所 | 北区赤羽西2-22-7 |
備考 | 稲付村総鎮守、赤羽八幡神社の兼務社 |
稲付香取神社の由緒
稲付香取神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には稲付村の鎮守だったといい、当社本殿は徳川家光の霊夢により上野東照宮の内陣を慶安3年(1650)に移築したものだといいます。明治42年諏訪社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による稲付香取神社の由緒
(稲付村)
香取社
村の鎮守とす、長二尺六寸許の石を神体となせり、普門院持下同じ。
末社稲荷、疱瘡神。諏訪社。
諏訪社。 (新編武蔵風土記稿より)
「東京都神社名鑑」による稲付香取神社の由緒
創立年代不詳。昔は普門院支配なりという。明治四十二年九月無格社諏訪神社を当社に合祀した。昭和二十年八月の空襲によって、社務所・神楽殿・鳥居等倒壊した。(「東京都神社名鑑」より)
北区観光ガイドマップによる稲付香取神社の由緒
香取神社は旧稲付村の鎮守社です。創建時期は不明ですが、伝説によれば奥殿の中に安置されている朱塗りの本殿は、かつて上野東照宮の内陣だったもので、徳川三代将軍家光公が霊夢を見たことにより慶安3年(1650)に稲付村に移築したものとされています。境内には北区内では珍しい「力石」が7個奉納されています。(北区観光ガイドマップより)
北区神社めぐりによる稲付香取神社の由緒
創建時期は不明であるが、当社の朱塗りの御本殿は徳川三代将軍家光公により、慶安3年(1650)に上野東照宮の旧御本殿を移築したものとされている。境内には北区内では珍しい「力石」が奉納されている。(北区神社めぐりより)
稲付香取神社の周辺図