十条富士神社|王子神社の境外末社
十条富士神社の概要
十条富士神社は、北区中十条にある神社です。十条富士神社は、元和元年(1615)の創建といい、古来より当地にあった塚(古墳)を利用して築かれたのではないかといいます。現在は王子神社の境外末社となっています。
社号 | 富士神社 |
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祭神 | 木花之佐久夜毘売命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日6月30日・7月1日 |
住所 | 北区中十条2-14 |
備考 | - |
十条富士神社の由緒
十条富士神社は、元和元年(1615)の創建といい、古来より当地にあった塚(古墳)を利用して築かれたのではないかといいます。現在は王子神社の境外神社となっています。
新編武蔵風土記稿による十条富士神社の由緒
(十條村)塚二
往還の西にあり。共に由来は傳へず。「江戸志」に当村に遠藤塚と云ものありと載しは、此二つの内なるへし。(新編武蔵風土記稿より)
「北区史」による十条富士神社の由緒
富士神社(中十条)
中十条二丁目二一、字大塚に鎮座し、祭神は木花佐久夜姫命。元和元年の創建と云われ、社地二十坪、毎年七月一日を祭日とする。
浅間神社の信仰は江戸時代に盛んになつたものと云はれているが、現在の多くの地方の小さな浅間神社富士神社には中世にまつられたものも少なくなく古墳を利用したものが甚だ多く、この神社も十条には古墳がおびただしくあつた点などにより、古墳を改良して富士神社にしたものであろうとの説が有力である。(「北区史」より)
「東京都神社名鑑」による十条富士神社の由緒
記載なし。(「東京都神社名鑑」より)
十条富士神社所蔵の文化財
- 十条冨士塚
十条冨士塚
十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行ってきた場です。
現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参詣するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建紀年碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を兵平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の5合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。(北区教育委員会掲示より)
十条富士神社の周辺図