寂静山大恩寺|根津神社近くより移転
大恩寺の概要
日蓮宗寺院の大恩寺は、寂静山と号します。大恩寺は、寂静院日賢(正保元年1640年没)が寛永元年(1624)根津神社横に創建したといい、明治維新後当地へ移転しました。
山号 | 寂静山 |
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院号 | - |
寺号 | 大恩寺 |
住所 | 北区赤羽西6-15-19 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大恩寺の縁起
大恩寺は、寂静院日賢(正保元年1640年没)が寛永元年(1624)根津神社横に創建したといい、明治維新後当地へ移転しました。
「北区史」による大恩寺の縁起
大恩寺
赤羽五丁目にあり、威徳山と云う。日蓮宗正中山法華経寺の末。寂静院日賢上人が天和年中開山せるものと云い、震災後対象十四年八月二十日本郷根津西須賀町(現文京区)から移転して来た。本堂庫裏の外に栄久堂がある。境内千五百十三坪、墓地二百二十五坪。(「北区史」より)
御府内寺社備考による大恩寺の縁起
下総国中山法華経寺末、駒込不唱小名、寂静山大恩寺、境内年貢地1230坪
寛永元子年建立。
開山寂静院日賢正保元甲年8月24日化。
本堂7間ニ5間。本尊法華題目、釈迦牟尼仏、多宝如来、四菩薩、四天王、三光天子、鬼子母神、十羅刹女。十二体厨子入各丈8寸余。日蓮大菩薩、開山日賢作ト申傳。日蓮像、丈1尺2寸宮殿入日親上人作。
大鐘。元保15年鋳造鋳物師田中丹後守作。
三天堂間口2間半奥行4間半。大古久天丈5寸日蓮作ト申傳、毘沙門天丈1寸、弁財天丈6尺、前立大黒天丈5尺6寸程、三十番神各丈3寸斗。
稲荷社、1間四方。以上丙戌書上(御府内寺社備考より)
東京名所図会による大恩寺の縁起
大恩寺は。西須賀町十五番地にあり。寂静山と號し。日蓮宗にして下総國中山法華経寺の末派なり。開基は僧日賢にて。寛文元年の創立に係る。
當寺は道路に面する部分石塀を廻し。門は素木造り瓦屋根にて門前左に一の石標を建つ。表面に南無日蓮大菩薩。左側に奉漸讀大乗妙典一萬部成就處。背面の其の由来を記し。未に安永六丁酉天八月吉晨威徳山十二世日暉謹識と刻せり。又門楯に口中守護榮久大善神と書したる提灯両個を吊せり。門を入り石段を降り。甃石を進めば左右に石造の幟竿の臺石あり。明治三十四年三月と刻す。其右に嗽石盤あり。傍に一堂あり。長さ四尺巾二尺金字額を掲げ題して榮久殿といふ。明治二十七年二月西川元譲書と署名しあり。堂は奥行さん間半間口二間なり。榮久殿の左側に高さ五尺餘の二柱あり。(東京名所図会より)
大恩寺の周辺図