白王山福性寺|堀ノ内村梶原塚石碑、豊島八十八ヶ所、荒川辺八十八ヶ所
福性寺の概要
真言宗豊山派寺院の福性寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建とされます。豊島八十八ヶ所霊場57番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場15番札所です。境内には、地名堀船の由来となった、堀ノ内村梶原塚石碑が安置されています。
山号 | 白王山 |
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院号 | - |
寺号 | 福性寺 |
住所 | 北区堀船3-10-16 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福性寺の縁起
福性寺は、寛永2年(1625)の創建とされています。
北区文化財案内による福性寺の縁起
真言宗豊山派。本尊は大日如来像です。創建年代は不詳ですが、「北区史」には「本尊は大日如来、寛永2年創建の際の彫刻で、開基は篤信法師である。…記録を焼失して詳細は不明である。」と記されています。寛永2年は西暦1625年にあたり、江戸時代前期になります。
この寺の境内にある石造物の多くは、梶原塚にあったものということです。梶原塚は、太田三楽斎資正(太田道灌の子孫)の次男、梶原源太政景の墳墓で、享保(1716-36)のころまでは石碑・石段があったが、洪水で川に崩れ込み、今は一株の松だけがあると、「江戸名所図会」に記されています。梶原政景は、鎌倉時代の梶原氏の名を継いだ戦国時代の武将で、系図の上からは太田氏に属します。
「武蔵古蹟志」に、「梶原塚…40年許り以前は塚もあり、御影石の燈籠ありしが塚は川へ崩込、石燈籠は誰か盗み、今は川岸に小竹少生たる中に松二本あり畑にて道なし」と記されているといいます。「北区の歴史」には「武蔵演路」によると、洪水で崩れた梶原塚を村人が修復したと記されているが、その後の河川の改修などにより、梶原塚にあったいろいろな石仏と塔を当寺に移したと記されています。(北区文化財案内より)
新編武蔵風土記稿による福性寺の縁起
(梶原堀ノ内村)福性寺
新義真言宗足立郡沼田村恵明寺ノ末、白王山中臺院ト号ス本尊大日。
地蔵堂、福性寺持。
福性寺の周辺図