成田山豊栄寺|豊島不動院
豊栄寺の概要
真言宗智山派寺院の豊栄寺は、成田山豊島不動院と号します。豊栄寺は、豊島氏が祀った不動明王の継承として、初代先達荒井豊政氏が明治6年(1873)に豊栄講を組織、豊栄講二世先達豊道氏が豊栄教会と公称、昭和28年に、三世先達政道氏が成田山新勝寺の允可を受けて豊栄寺と公称したといいます。
山号 | 成田山 |
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院号 | 豊島不動院 |
寺号 | 豊栄寺 |
住所 | 北区豊島7-12-7 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | 豊栄寺会館 |
備考 | 豊島不動院 |
豊栄寺の縁起
豊栄寺は、豊島氏が祀った不動明王の継承として、初代先達荒井豊政氏が明治6年(1873)に豊栄講を組織、豊栄講二世先達豊道氏が豊栄教会と公称、昭和28年に、三世先達政道氏が成田山新勝寺の允可を受けて豊栄寺と公称したといいます。
「北区史民俗編」による豊栄寺の縁起
初代先達荒井豊政氏が、豊島氏が祀った不動明王の継承として明治六年(一八七三)この地で豊栄講を組織した。したがって寺伝では、清光を開基とする。
その後、豊栄講二世先達豊道氏によって豊栄教会となった。昭和二年(一九二七)、成田山新勝寺寺主によって本尊の開眼を受ける。同二十八年、三世先達政道氏が成田山新勝寺の允可を受け、同寺末に加入する。これにより、豊島不動院の開山を初代先達荒井豊政、豊栄寺第一世住職を三代先達政道としている。
境内左手に「霊応」と彫った板石形の碑がある。これには、「不動尊霊験記」と題し、豊島村の鈴木邦次郎氏が明治四年五月から成田山に眼病を癒すために龍り、九月に快癒したので、六年四月の深川不動の開帳を機会に六十人で講を組織し、荒井豊政氏を先達としたところ七百人余りの豊栄講となったと記してある。
豊政氏は霊験のある人で、飛鳥山にいて豊島村に病人が出たことをあてたといわれていたと語る人もいる。(「北区史民俗編」より)
豊栄寺の周辺図