飯倉熊野神社|港区麻布台の神社

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飯倉熊野神社|港区麻布台の神社

飯倉熊野神社の概要

飯倉熊野神社は、港区麻布台にある熊野神社です。飯倉熊野神社の創建年代は不詳ながら、養老年間(714-724)芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したといいます。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年稲荷神社を合併したといいます。

飯倉熊野神社
飯倉熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊邪那岐大神、伊邪那美大神、武速須佐之男大神、塩竈大神
相殿 -
境内社 太田姫神社、愛宕神社
祭日 6月1-3日
住所 港区麻布台2-2-14
備考 -



飯倉熊野神社の由緒

飯倉熊野神社の創建年代は不詳ながら、養老年間(714-724)芝の浜辺に勧請されたものが、後当地へ遷座したといいます。明治21年宮城県塩釜より鹽竈大神を招靈、明治29年稲荷神社を合併したといいます。港区七福神の布袋です。

東京都神社名鑑による飯倉熊野神社の由緒

創建は養老年間(七一七-二四)とも、応永年間(一三九四-一四二八)に阿闇梨慶祚が紀州の熊野三山を勧請したとも伝えられる。武家の崇敬が厚く、文明年間(一四六九-八七)には太田道灌によって再建され、太鼓などが奉納された。江戸期には別当を正宮寺といって寛永寺の末であった。祭礼の盛んであったことは、『武江年表』をはじめ、若月紫蘭、水上滝太郎、島崎藤村などの作品に、その俤をとどめる。昭和二十年五月、戦火により、社殿(元禄期)・神楽殿(安政期)・社務所(大正期)などことごとく烏有に帰した。(東京都神社名鑑より)

「麻布區史」による飯倉熊野神社の由緒

熊野神社(村社)飯倉町三ノ九
祭神伊邪那岐命・伊邪那美命・武速須佐之男命。明治二十一年九月二十五日宮城縣鹽釜より鹽竈大神を招靈し、同じく二十九年十二月十四日稲荷神社合併に依り宇迦之御魂命を加へた。この稲荷は太田稲荷と呼ばれ、道灌の守護神であつたと云ふ。今蔵する長さ一尺八寸・横一尺六寸の太鼓は(胴の裏面に寶永元年七月張替の銘あり)、此の縁故に依て道灌が寄附したものと傳へてゐる。大祭は六月三日。鎮座草創の由緒並に年月は元禄十六年十一月十八日の火災に舊記焼失の爲め傳はらないが、別當正宮寺(一書正行寺に作る)と同じく應永の頃慶祚阿闍梨が勧請したものと傳へられる。『江戸志』には養老年間芝濱に勧請し後此處に移したと記してある。往時は熊野三社大権現と云ひ、正宮寺(一書正行寺)が別當であつた。本地佛は阿彌陀如来・薬師如来・千手観音であつて、神佛分離以前には夫々慈覺大師作と傳へる金像が安置されてゐた。氏子は飯倉三・四・五丁目と森元町一・二・三丁目及狸穴町・赤羽河岸に一千五百四十戸を算える。明治五年十一月五日村社に指定された。社殿は権現造である。(「麻布區史」より)

江戸名所図会による飯倉熊野神社の由緒

熊野権現宮
飯倉町にあり、或人云養老年間芝の海濱に勧請ありしを遥の後今の地に移さるとぞ。別當は三集山正宮寺といふ天台宗にして東叡山に属せり。毎年六月朔日より三日まで祭礼を修行す。(江戸名所図会より)

参考資料

  • 「麻布區史」
  • 東京都神社名鑑
  • 江戸名所図会



飯倉熊野神社の周辺図