日比谷神社|日比谷稲荷明神・旅泊稲荷明神、鯖稲荷
日比谷神社の概要
日比谷神社は、港区東新橋にある神社です。日比谷神社の創建年代は不詳ですが、往古は日比谷に鎮座して日比谷稲荷明神・旅泊稲荷明神と称していたといいます。慶長年間(1596-1615)、江戸城日比谷御門御造営により、港区新橋へ遷座、江戸時代には、鯖稲荷と呼ばれ、虫歯虫封じに崇敬されていたといいます。明治5年には村社に列格、平成に入り、環状2号線工事着工に伴い当地へ移転しました。
社号 | 日比谷神社 |
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祭神 | 豊受大神、祓戸四柱大神(瀬織津比売神・速開都ヒ売神・気吹戸主神・速佐須良比売神)、天津神・国津神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 港区東新橋2-1-1 |
備考 | 鯖稲荷 |
日比谷神社の由緒
日比谷神社の創建年代は不詳ですが、往古は日比谷に鎮座して日比谷稲荷明神・旅泊稲荷明神と称していたといいます。慶長年間(1596-1615)、江戸城日比谷御門御造営により、港区新橋へ遷座、江戸時代には、鯖稲荷と呼ばれ、虫歯虫封じに崇敬されていたといいます。明治5年には村社に列格、平成に入り、環状2号線工事着工に伴い当地へ移転しました。
境内掲示による日比谷神社の由緒
コノ御社ハ往古ヨリ今ノ千代田区日比谷公園ノ辺ニテ大塚山ト云フ所ニ御鎮座シ日比谷稲荷明神・旅泊稲荷明神ト称シ奉リソノ御創建ノ年暦ハ不詳ナルモ慶長年間江戸城日比谷御門御造営ニ付キ神社並ニ氏子共ニ芝口(現新橋)ニ換地セラレ御社ノミ今ニ日比谷神社ト称シ奉ル。
往古当社日比谷ニ在リシ頃、全国ノ難苦セル旅人等ニ神社社務所ヲ開放シ無病息災ノ御祈願ヲ受ケ霊験特ニ著シキヲ以テ旅人里人等ハ旅泊稲荷ト唱ヘ奉ルナリ。新橋ニ移リテ魚ノ鯖ニ変リ鯖稲荷ト称シ来タレリ。特ニ虫歯ニ苦シム人等御祈祷ニ依リ霊験特ニ有リシト鯖ヲ断チ祈誓ヲ掛ケ立願成就治癒ノ後ニ報謝ノ為鯖ヲ奉納スルニ因レリ。
虫歯虫封ジノ御祈願スルハ日比谷神社ノミナリ。
祓戸四柱ノ大神ノ御神徳ニ依リ土地・家祓ヒ自動車祓ヒ、ソノ他ニ霊験著シキヲ以テ全国ニ聞エルモノナリ(日比谷神社境内掲示より)
東京都神社名鑑による日比谷神社の由緒
旧地は日比谷公園内大塚山にて、鎮座の年月許かでない。慶長十一年(一六〇六)日比谷門建設にさいし神社・氏子ともに代地を当所に賜わり、旧により社号・町名を日比谷と称した。宝永七年(一七一〇)新橋に芝口門を増設せられ、日比谷町を芝口町と改称せられたが、社号のみ依然として今に至った。往古当社の日比谷にあったころは、旅人に霊験ありとして里人はこれを旅泊稲荷とも呼んだが、日蔭町に移って以来、さらに鯖稲荷と称した。当代宮司三宅武雄に至るまで二十二代である。(東京都神社名鑑より)
「芝區誌」による日比谷神社の由緒
日比谷神社 新橋四丁目
祭神 豊受姫命、天津神、國津神、秡戸神。
もとは日比谷稲荷明神、大塚山稲荷明神、旅泊稲荷明神などと號し、日比谷門内大塚山に鎮座したのを慶長十一年(月日は不明)日比谷御門造營の爲め、神社も氏子も芝口(現新橋三丁目)に換地を仰付られて、其處に移り、舊によつて社號町名を日比谷と稱した。寛永七年新橋に芝口門を設け、日比谷町を芝口町と改稱せられたが、社號のみは依然として元の通りであつた。明治五年十一月五日村社に列した。
昭和三年區割整理の爲め現在地に移轉し、社殿新築の上、同年十一月三日、遷座祭を擧行した。
昔當社が日比谷にあつた頃は、旅人に靈験があつたので旅泊稲荷と唱へたが、日陰町に移つてから更に鯖稲荷と稱した。齲歯に苦む者が鯖を斷つて祈誓をかけ、癒つてから報恩の爲めに鯖を奉納するので「鯖」を名に負ふといふのは、例の縁起説話である。
氏子地域 新橋二丁目一部、同三丁目一部、新橋四丁目、同五丁目一部、汐留町。(「芝區誌」より)
日比谷神社の周辺図
参考資料
- 東京都神社名鑑
- 「芝區誌」
- 日比谷神社 公式サイト/東新橋・汐留の鎮守さま