高山稲荷神社|港区高輪の神社

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高山稲荷神社|丘上に鎮座していた事に由来

高山稲荷神社の概要

高山稲荷神社は、港区高輪にある稲荷神社です。高山稲荷神社の創建年代は不詳ですが、凡そ五百年前当地域に創建、有馬邸(現在毛利公邸)の東北丘上にあつたので、高山稲荷と称したといい、明治初年当地へ遷座したといいます。

高山稲荷神社
高山稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭日9月15日
住所 港区高輪4-10-23
備考 -


※鳥居画像は、いけみずさんよりの寄贈


高山稲荷神社の由緒

高山稲荷神社の創建年代は不詳ですが、凡そ五百年前当地域に創建、有馬邸(現在毛利公邸)の東北丘上にあつたので、高山稲荷と称したといい、明治初年当地へ遷座したといいます。

「芝區誌」による高山稲荷神社の由緒

稲荷神社 高輪南町
祭神 宇迦御魂命。
往昔、有馬邸(現在毛利公邸)の東北丘上にあつたので、高山稲荷とも稱した。明治初年毛利家より替地の寄進があつて、現在地に遷つた。昭和六年社殿を改築した。(「芝區誌」より)

東京都神社名鑑による高山稲荷神社の由緒

創立年月不詳。伝えによれば五白有余年以前、往昔は丘の上にあったのを(『江戸名所図会』所載)、ゆえあって現在の地に移した。当時神社の前面は海辺で房総方面よりくる舟の目標となっていた。永く高輪南町・下高輪町の鎮守の神として崇敬を集めた。現在の社殿その他は、昭和六年氏子崇敬者の浄財によって造営せられた。(東京都神社名鑑より)

境内資料による高山稲荷神社の由緒

高山稲荷神社は京都伏見稲荷大社の御分霊・正一位福聚稲荷大明神の御分霊を祭祀しております。
往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。
当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。
現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつづき遠く房総方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。(寛政年間の江戸名所図会参照)
明治初期毛利公爵が当地に邸宅を構えるに及び同家より広大な敷地の寄進があり境内からの眺望は目を見張るものがあったと思われ明治天皇が京都より江戸への遷都に際して当所で御休息・御野立をなされたと伝えられて居ります。(毛利家所蔵文献参照)
大正十二年関東大震災後国道の拡張に伴い約十五米の境内を失い参道も(旧参道は現在地北側約三十二米先の石畳道路に面しており南方へ向って石段を昇った)現在の方位に移りましたが歴史の流れと共に社殿の損傷も甚しく昭和の初期諸先輩の努力により高山神社奉賛会を設立し氏子一同の熱心な御協力により昭和六年九月吉日社殿の御造営を落成し現在の荘厳な新社殿を仰ぎ見るに至った。当社は古来高輪南町・下高輪町(旧中町)の鎮守の神として氏子町民の信望を集め毎年九月十五日を期し賑やかに大祭の行事を執行致しております。
昭和六十三年に至り約六十年間風雪に耐えた神社大鳥居並社殿内外の大改修の必要にせまられ茲に奉賛会会員並氏子一同の絶大なる御協力・御奉納により改修の完成を見るに至った。
当神社は数百年来鎮守の神として氏子町民の守護神として信望を集め強いては全人類の平和と幸福を祈り国家の隆昌と子孫の繁栄に御加護下さる由緒ある神社です。(高山稲荷神社境内資料より)


高山稲荷神社の周辺図

参考資料

  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」