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赤坂不動尊威徳寺|港区赤坂にある真言宗智山派寺院

赤坂不動尊威徳寺の概要

真言宗智山派寺院の威徳寺は、智剣山阿遮院と号します。赤坂不動尊威徳寺は、伝教大師が唐より帰国の途中、暴風雨で船が沈みそうになり海に沈めて祈願した御自作の不動明王が、天安2年(858年)越後出雲崎の漁師が拾い上げ、祀ったことにより創始したと伝えられます。慶長5年(1600年)住僧良台(元和3年1617寂)が赤坂一ツ木へ移転し開山、江戸時代には紀州徳川家の祈願寺となっていた他、御府内八十八ヶ所霊場75番札所となっていました。

赤坂不動尊威徳寺
赤坂不動尊威徳寺の概要
山号 智剣山
院号 阿遮院
寺号 威徳寺
住所 港区赤坂4-1-10
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場75番



赤坂不動尊威徳寺の縁起

赤坂不動尊威徳寺は、伝教大師が唐より帰国の途中、暴風雨で船が沈みそうになり海に沈めて祈願した御自作の不動明王が、天安2年(858年)越後出雲崎の漁師が拾い上げ、祀ったことにより創始したと伝えられます。慶長5年(1600年)住僧良台(元和3年1617寂)が赤坂一ツ木へ移転し開山、江戸時代には紀州徳川家の祈願寺となっていたといいます。

御府内寺社備考による赤坂不動尊威徳寺の縁起

愛宕下真福寺末 赤坂一ツ木町
智剣山阿遮院威徳寺、境内三百廿九坪内二百坪年貢地寄附地二十一坪御領地
起立年代相分不申候。
開山良臺元和三戌年七月八日卒
本堂、梁間二間半桁行三間。本尊不動、秘仏。前立不動。(御府内寺社備考より)

「赤坂區史」による赤坂不動尊威徳寺の縁起

真言宗威徳寺(山號及別號智劔山阿遮院、愛宕下真福寺末)一ツ木町十三番地
寺門は市廛の間にあつて、本堂は一ツ木町十三番地の丘上に位置してゐる。門前に建てた大石柱には、「智劔山威徳寺、現在茲海代」「八十八ヶ所七十五番弘法大師」「傳教大師御真作海中出現不動明王」「将軍十一面観世音」-天保八丁酉五月-の文字が刻まれてゐる。
當寺の起立された年代は詳かでないが、開山は良臺是年(元和八年寂)である。
本堂の傍にある大師堂は寶形造で讃岐善通寺の寫しである。此處は昔は星か岡の鬱陵に對し、溜池の池塘を下瞰し、又遠く愛宕の高塔を望むことが出来て、風光絶佳の地であつた。山號の智劔山は、續江戸砂子に「池見山威徳寺」と記されてゐるやうに、以前は溜池に臨むといふ意味から池見山と書いたのだが、後に至つて不動明王の利生の劔に因んで智劔と改めたのであらう。
境内に弘法大師千五百回忌塔がある。また不動尊に就いては、寺傳によれば、文徳天皇の天安二年越後國出雲崎の海濵に毎夜光明赫々たるものを認め海底を探つて此像を得たので、茅屋を結んで之を安置し、後に下総國米澤村に移した。寶冶年中に北條時頼が米澤村の不動堂へ願書を奉つたと傳へられるのは、即ちこの不動に祈願したもので、其後米澤村から武蔵國貝塚領人繼村へ遷座したのがこの像であると云ふ。(「赤坂區史」より)

赤坂不動尊栞による赤坂不動尊威徳寺の縁起

延暦24年(805年)伝教大師が唐より帰国の途中、暴風雨のため、船が沈みそうになり、御自作の不動明王を海に沈めて祈願し、無事帰国しました。その後、天安2年(858年)越後出雲崎の漁夫が不漁続きの時、毎夜不思議な光を見、探したところ、海中から大師がお沈めになった不動明王が現れ、大切に祀りしました。永承6年(1063年)源頼義が戦勝を祈願し、霊験を感じて下総米沢に御尊像をお迎えし、鎌倉時代には、文永11年(1274年)、執権北条時宗が文永の役に戦勝祈願し、寺運大いに興隆しました。
慶長5年(1600年)住僧良台は本尊の夢のお告げによって、武蔵一継(一ツ木)の地に寺を移転、眼下に溜池を望む霊地であったことから池見山遮那院と号しました。家康江戸入府以前のこと、赤坂の地草分けの古刹です。
江戸時代に入り、紀州徳川家の祈願寺となり、広く人々に信仰され、大いに栄えました。人々はその威徳を尊び智剣山威徳寺と呼ぶようになり、現在も内陣には紀州徳川家奉納の厨子や仏具などがあります。以来、江戸の火災や大震災、戦災などのいくたびの災禍を免れた霊験あらたかなお不動様です。(赤坂不動尊栞より)


赤坂不動尊威徳寺の周辺図


参考資料
  • 「赤坂區史」
  • 御府内寺社備考