金洞山随應寺|港区三田にある浄土宗寺院
随應寺の概要
浄土宗寺院の随應寺は、金洞山無窮院と号します。随應寺は、権蓮社選誉上人向阿貞信随應大和尚(元和2年1616年卒)が開山となり、慶長16年(1611年)八丁堀に創建、二世乗蓮社大誉上人順阿不構和尚(寛永13年1636年卒)の代に御用地となり寛永12年(1635年)当地へ移転したといいます。
山号 | 金洞山 |
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院号 | 無窮院 |
寺号 | 随應寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 港区三田4-6-20 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
随應寺の縁起
随應寺は、権蓮社選誉上人向阿貞信随應大和尚(元和2年1616年卒)が開山となり、慶長16年(1611年)八丁堀に創建、二世乗蓮社大誉上人順阿不構和尚(寛永13年1636年卒)の代に御用地となり寛永12年(1635年)当地へ移転したといいます。
御府内寺社備考による随應寺の縁起
京都知恩院末 芝三田
金洞山無窮院随應寺、境内拝領地千百四十五坪内三百十五坪借添年貢地百八坪門前町屋
起立之儀者慶長十六年八丁堀地蔵橋邊ニ而寺地拝領仕候後寛永十二亥年当所江替地被仰付候。
開山権蓮社選誉上人向阿貞信随應大和尚元和二丙辰年十二月廿三日卒。
二世乗蓮社大誉上人順阿不構和尚寛永十三子年三月廿四日卒。
本堂、間口四間半奥行六間半。
本尊阿弥陀如来、木立像丈三尺。脇立観世音菩薩、勢至菩薩、共ニ木立像丈い尺六寸八分。善導大師、木立像丈二尺五寸。円光大師、同。喚鐘、丈一尺五寸指渡一尺。寛政六寅六月と写し十一世渕誉松龍代再建。銅燈籠一対、天明七未年十世東誉卓天建立。
鎮守社、三尺四方。愛宕大権現、三峯山大権現、鹿嶋大明神、秋葉大権現、稲荷大明神、春日大明神。
地蔵堂、間口二間半奥行二間。子育腹帯地蔵尊、宮殿入木立像丈二尺九寸恵心僧都作。前立地蔵尊、木立像丈一尺九寸。脇立掌善童子、木立像丈一尺五寸六寸。掌悪童子、同。
腹帯守并夢想国ト申産婦血之道之薬右より開山江夢想ニ為代ニ産出申候。
六地蔵尊、右者表門前ニ有之候。(御府内寺社備考より)
「芝區誌」による随應寺の縁起
随應寺 三田豊岡町三十番地
智恩院末、金洞山無窮院。慶長十六年随應の開基する所である。初め八丁堀に創建し、寶永十二年現地に移る。江戸時代に屡〃祝融の災に罹り、弘化二年再建後現在に至つた。寺内に、六地蔵尊を安置してある。(「芝區誌」より)
随應寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 御府内寺社備考