祥雲山龍澤寺|太田原備前守が開基、麻布区役所が設置
龍澤寺の概要
曹洞宗寺院の龍澤寺は、祥雲山と号します。龍澤寺は、太田原備前守(知覺院殿齢保賢長大居士、寛文元年1661年卒)が開基となり白容傳清和尚(寛永3年1626年寂)を開山として、寛永3年(1626)飯倉片町に創建したといいます。郡区町村編制法に際して明治11年には当地に麻布区役所が設置されたといいます。
山号 | 祥雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 龍澤寺 |
住所 | 港区元麻布3-10-5 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍澤寺の縁起
龍澤寺は、太田原備前守(知覺院殿齢保賢長大居士、寛文元年1661年卒)が開基となり白容傳清和尚(寛永3年1626年寂)を開山として、寛永3年(1626)飯倉片町に創建したといいます。郡区町村編制法に際して明治11年には当地に麻布区役所が設置されたといいます。
「麻布區史」による龍澤寺の縁起
祥雲山龍澤寺 宮村町六三
西久保青龍寺末、本尊釋迦。寛永三年二月十五日飯倉片町に創立後り當所に移つた。開山白容傳清和尚(寛永三年八月二十三日)。開基は太田原備前守(知覺院殿齢保賢長大居士寛文元年三月五日卒)明治二年三月より第二大區十二小區の扱所を當寺内に置き、同九年二月二十九日區役所と改稱した。これ即ち麻布區役所の前身である。境内地蔵堂には旅僧奇瑞の石地蔵を安置してゐる。國学者山岡明阿彌の墓がある。明阿彌は名を淩明、字を子亮と云ひ梅橋山人と號した。江戸に生れ姓を大伴、宿彌左次右衛門と通稱し初め林道春に経學を學び、後國學を加茂真淵に究めた。幕府に仕へ歌もよくした。安永九年十月十五日京都に歿す。年六十九。(「麻布區史」より)
龍澤寺所蔵の文化財
- 最初の麻布区役所跡
最初の麻布区役所跡
江戸が東京都改称されてから、その行政区画の変遷は煩雑を極めた。
明治十一年(一八七八)七月二十二日、郡区町村編制法が発布され、十一月二日には、芝・麻布・赤坂など十五区と荏原などの六郡が置かれ、町村会、区会を開設することになったが、これは近代地方自治史上、画期的なことであった。
これによって、明治六年(一八七三)十二月以来、この龍澤寺の堂宇を借りて設置されていた第二大区十二小区の区務所は、明治十一年十一月四日から、麻布区役所として開庁し、初代区長には前田利光が任命された。
なお、芝・麻布・赤坂区は昭和二十二年三月十五日、統合されて港区となった。(東京都港区教育委員会掲示より)
龍澤寺の周辺図
参考資料
- 「麻布區史」