瑠璃山正光院|御府内八十八ヶ所
正光院の概要
高野山真言宗寺院の正光院は、瑠璃山と号します。正光院は、筑前福岡2代藩主黒田忠之が開基となり、法印宥専大和尚(正智院第28世、寛文13年1673年寂)を開山に迎えて寛永7年(1630)に創建、本尊の薬師如来は子安薬師とも称されて江戸期には信仰を集めていたといいます。御府内八十八ヶ所霊場27番です。
山号 | 瑠璃山 |
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院号 | 正光院 |
寺号 | - |
住所 | 港区元麻布3-2-20 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正光院の縁起
正光院は、筑前福岡2代藩主黒田忠之が開基となり、法印宥専大和尚(正智院第28世、寛文13年1673年寂)を開山に迎えて寛永7年(1630)に創建、本尊の薬師如来は子安薬師とも称されて江戸期には信仰を集めていたといいます。
「麻布區史」による正光院の縁起
瑠璃山正光院 櫻田町三五
古義真言宗高野派 紀伊高野山正智院末。寛永七年の起立で開基は筑前大守従四位黒田忠之、開山は高野山前南山寺務検校法印宥専大和尚(正智院第二十八世、寛文十三年三月二十八日寂)である。本尊薬師如来の坐像は、恵心僧都作に係り、一條帝御降誕の祈願佛と傳へてゐる。里俗子安薬師と呼び江戸時代はなかなか信仰されてゐた。愛染明王像と共に寛永十年黒田侯の寄進するところと傳ふ。
境内の大師堂は府内八十八ヶ所第二十七番霊場になつてゐる。又、不動堂と地蔵堂がある。前者は麻布大山不動と云ひ後者は子育鹽地蔵と呼ばれ、曾て小民の信仰を蒐めてゐた。地蔵は石像で、もと霞山櫻田神社の別當、天台宗観明院境内にあつたのを、同寺廢絶の為め此處へ移したものである。
墓地に『擇所石井先生之墓門人杉村輪謹書』と題する墓碑がある。擇所は前橋藩の儒者で、名を文衷字を子哲、通稱を良平と云つた。尾藤二洲の門人である。(「麻布區史」より)
正光院の周辺図
参考資料
- 「麻布區史」