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光林寺|港区南麻布にある臨済宗妙心寺派寺院

光林寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の光林寺は、慈眼山と号します。光林寺は、丸亀藩主京極備中守高豊が開基となり、盤珪國師(元禄6年1693年寂)が延宝6年(1678)麻布谷町に創建、元禄7年当地へ移転したといいます。盤珪國師は、姫路龍閑寺をも創建した他、大本山妙心寺の住職を務めた名僧です。

光林寺
光林寺の概要
山号 慈眼山
院号 -
寺号 光林寺
住所 港区南麻布4-11-25
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



光林寺の縁起

光林寺は、丸亀藩主京極備中守高豊が開基となり、盤珪國師(元禄6年1693年寂)が延宝6年(1678)麻布谷町に創建、元禄7年当地へ移転したといいます。盤珪國師は、姫路龍閑寺をも創建した他、大本山妙心寺の住職を務めた名僧です。

東京名所図会による光林寺の縁起

慈眼山光林寺 富士見町三七
本尊如意輪観音 妙心寺派中本寺格。延寶六年十月市兵衛町に創建し、元禄七年五月今の處へ移つた。永く舊地を光林谷と呼んでゐた。開山は盤珪永琢和尚である。和尚は播磨綱干の人、同國龍門寺の開山。諸侯の歸依を集めた高僧で、元禄六年九月三日齢七十九(一に七十二)を以て龍門寺に寂した。元禄三年二月特に詔に依つて佛智弘済禅師の號を賜はり、後元文五年十二月勅諡大法正眼國師を下賜された。當寺の本尊は此の開山が作るところと傳へられてゐる。開基は丸亀藩主京極備中守高豊で、特に刑部少輔高和の奥方養性院殿寶山壽心大姉(藤堂大學頭女、元禄二年二月三日卒)は最も熱心な歸依者であつた。
寶永六年五月奥田出羽掾作の鐘には「武州豊島郡麻布邑慈眼山光輪禅寺」云々と銘が鐫りつけてある。(東京名所図会より)

東京名所図会による光林寺の縁起

光林寺
光林寺は、麻布富士見町三十七番地にあり、慈眼山と號す、妙心寺派の禅刹にして、盤珪国師の開基なり。
山門あり、額に慈眼山の三大字を扁す、門内、甃石あり、一は玄關に通じ、一は本堂に達す、本尊観世音、開山國師の作、現在の住職は菅原義範といふ。
江戸砂子に云、慈眼山光林寺、妙心寺末、新堀は云。
同畫再板に云、開山盤珪和尚、當寺もと市兵衛町の邊にありしとなり。
望海毎談に云、光林寺今は麻布廣尾にあり、初は麻布谷町の脇にあり、盤珪國師の開基なり。和尚は播州の生れにて備前三友寺の卜翁和尚の弟子にして妙心寺の派なり。小僧の時より禅機有、十七八才の時、長福寺に往て、隠元禅師の會下にして、下僧を勤め、法意を尋問して、隠元の答に心に應ぜず。故に之を捨て、諸國に経歴して京へ出、是より江戸に来り、浅草の乞食の中へ入て修行す。松浦鎮信の馬乗、屋敷の外へ出て、馬の口を乗直すこと毎日なり、時に乞食の形にて菰をかぶり、馬責せし邊に立て、其乗馬の乗方を笑ふ、馬乗之を咎めたりしを、其乗心を批判するに依て、其意を感心し、之を用人等傍輩に語る、終に主人鎮信の耳に達す。鎮信不審に存ぜられ、又重て馬乗せ置て掛りに、鎮信之を駕籠の内より見るに、先年長崎にて隠元の會下にて見覺られたる若き出家の面色有と見、又其通りに再遍見届、使を以て先年長崎にて隠元の會下にて、對面有て、其名は何と云と尋られしかば、其通りに御座候と答ふるを以、用人に申付、翌日迎を遣し呼迎へられけるに、菰着たる儘にて参り候に付、先風呂へ入れ、衣服を着替させ對面有て、夫より鎮信の方に留置、法を尋問、斯懇意せらるるに付、谷町にて一宇を建立して光林寺と號す。盤珪の一弟子は鎮信なり、夫よりして京都へ上り法を説く、諸宗にて心法を練たる僧徒来て法を聞き、皆弟子と成る、依て仙洞の叡聞に達し、法義を説くゆゑ、弘智廣才禅師と號を賜ふ。京都にも寺を取立て、直に弟子にあたへ、本國播州網干に来り寺を取立、龍閑寺と號し、夫より備前へ来り、師匠卜翁へ對面し、三友寺にて百日説法す、後網干にて遷化す。
盤珪國師の傳は、又續近世叢書に載せたり。望海毎談記するところと、聊か異同あるを以て、左に之を抄出すべし。(省略)
望海毎談は、盤珪の師を隠元と稱し、續近世叢書は超元と記せり、隠元は承應三年七月遷化、延寶元年四月三日寂す、而して平戸の城主松浦鎮信の卒去は慶長十九年五月にあり、即ち隠元の歸化は、鎮信卒して四十年の後なり、されば超元是耶、日本人名辞書には續近世叢書を擧げたり。
寺僧に開山の年號を尋ねたりしに、寛延年間といへり、非也、元禄六年に示寂し、生前曾て松浦鎮信の知遇を得たる盤珪國師の開基なれば、恐くは寛永の謬聞ならむ。
境内に一株の糸櫻あり、江戸遊覧花暦、みやひのしをり、東都歳時記等に載せて、頗ぶる著名なり。今や老幹朽ちて未だ全く枯れず、支柱に凭り、纔かにその半身を存す、昔を偲ぶの却あらば、杖を曳て訪ひたまへ、又佛人ヒフスケン、畫家加藤豫斎、渡邊湊水、内田陶丘の墳墓もあり。(東京名所図会より)


光林寺の周辺図