松流山正傳寺|毘沙門天像
正傳寺の概要
日蓮宗寺院の正傳寺は、松流山と号します。正傳寺は、慶長7年(1602)創建、尊重院日億が開山したといいます。7世普明院日栄が摂州梶原の天台宗金仙寺(一乗寺)から当寺へ遷した毘沙門天像は、多くの参詣を受けたといいます。
山号 | 松流山 |
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院号 | - |
寺号 | 正傳寺 |
住所 | 港区芝1-12-12 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正傳寺の縁起
正傳寺は、慶長7年(1602)創建、尊重院日億が開山したといいます。7世普明院日栄が摂州梶原の天台宗金仙寺(一乗寺)から当寺へ遷した毘沙門天像は、多くの参詣を受けたといいます。
「芝區誌」による正傳寺の縁起
正傳寺 金杉濱町四十七番地
日蓮宗中山法華経寺末で、松流山と號する。慶長七年の創建で、開山は僧日傹である。寺内に毘沙門天があり、傳教作といはれる毘沙門木像(天徳年間叡山の千観法師が播州梶折金仙寺に勧請し、後京都に移したもの)を安置してある。寅の日を縁日とし、参詣者が多かつた。文化の頃から正月初寅に参詣する人は、先づ附近の芝大神宮に詣で、次ぎに此處の門前で燧石を購つて帰るのを慣はしとした。京都鞍馬山毘沙門の例に倣つたものらしい。今はさうした風習がないけれど、初寅の日には参詣する者が尚ほ多い。本寺は昭和三年六月二十五日東京府北多摩郡神代村大字金子に移轉許可となつたが、昭和十年六月末日には尚ほ移轉事務が残つてゐる為め其儘になつてゐた。(「芝區誌」より)
東京名所図会による正傳寺の縁起
毘沙門堂
毘沙門堂は、芝濱町四十七番地、法華宗、松林山正傳寺内に在り。毎月寅日の縁日には、賽客群集せり。
増補江戸砂子に云、松林山正傳寺、法華宗、中山末(註中山法華経寺末)、金杉、毘沙門天、傳教大師の作、霊験の像にて、毎月寅の日は、とりわけ参詣群集す、近年正月初寅に詣るものは、大かた芝神明宮に詣、かの門前にて燧石をもとめて帰る、これは洛北鞍馬山毘沙門に、正月初寅に詣るに燧石を買る畚おおしといふも此日なり、そのまねびなり。日親堂、日親上人の像を安置す、是又霊験ありと云。
江戸名所図会に云、金杉の通り東の方の横小路にあり、松林山正傳寺とおへる中山派の日蓮宗の寺境にあり、本尊は傳教大師の作にして、後、日親上人再び點眼供養するとぞ、往古は摂州梶折邑一乗寺といへる寺にありしかとも、僻地にして結縁の人少し(一乗寺は金仙寺といひし真言の密乗なりしを日親上人の弘教に帰して本化の宗に改む)依て寛文の頃、衆生化益の為、日栄上人ここに移し奉るとなり。霊験感應の著しき事は寺記に詳なり、故に参詣の貴賎日に多く、寅日は殊に群集せり。(正月初の寅日参詣の人、大方は芝神明宮の門前にて燧石をもとめて帰る輩あり、洛北の鞍馬山の毘沙門天へ正月初の寅日詣する輩、燧石を買て家土産とす、これを畚おおしといふ、これに準ふといふ。)日親堂(日親上人の像を安ず、霊験著るし。)
東都歳時記に云、芝金杉二丁目正傳寺、正五九月の寅日開帳あり、参詣の諸人初寅の日、洛の鞍馬詣に比して帰路に芝神明宮の門前にて、ひうち石を求めしか、いまは此事少し、今日詣人へむかて小判を與ふ。(東京名所図会より)
正傳寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 東京名所図会