大光山重秀寺|上田主水重秀が開基
重秀寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の重秀寺は、大光山と号します。重秀寺は、上田主水重秀(法名重秀寺殿秋林宗清居士、寛文元年1662年寂)が開基となり、江国和尚(寛文12年1673年寂)を請て開山とし、麻布今井村に寛永9年(1632)創建、元禄7年(1694)当地に移転したといいます。
山号 | 大光山 |
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院号 | - |
寺号 | 重秀寺 |
住所 | 港区白金2-1-16 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
重秀寺の縁起
重秀寺は、上田主水重秀(法名重秀寺殿秋林宗清居士、寛文元年1662年寂)が開基となり、江国和尚(寛文12年1673年寂)を請て開山とし、麻布今井村に寛永9年(1632)創建、元禄7年(1694)当地に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による重秀寺の縁起
(麻布領白金村)重秀寺
境内年貢地1746坪。村の艮の方にあり。臨済宗妙心寺末。寺伝に上田主水重秀と云人、当寺を開基し、江国和尚を請して創立すと云ふ。その年月は傳はらず。重秀は寛文元年8月18日卒す。重秀寺殿秋林宗清居士と謚す。江国和尚は同12年4月3日寂すといふ。これによれば開闢の年代も推て知るべし。本尊聖観音の立像、客殿に安ず。客殿の前に玉垣あり。其より門内45間、其間に僅の石階所々にあり。
山王社。客殿の後にあり。
稲荷社。同所にあり。
地蔵堂。客殿の左の方墓の所にあり。堂は9尺に6尺。(新編武蔵風土記稿より)
「芝區誌」による重秀寺の縁起
重秀寺 白金三光町五百十六番地
臨済宗京都妙心寺の末派で、大光山と號する。寛永九年麻布今井村に創建し、元禄七年此地に移つた。開山を紹巴といふ。(「芝區誌」より)
重秀寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 新編武蔵風土記稿