紫雲山瑞聖寺|山手七福神の布袋尊
瑞聖寺の概要
黄檗宗系単立寺院の瑞聖寺は、紫雲山と号します。青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)創建したといいます。瑞聖寺の布袋尊は、山手七福神の一つとなっています。
山号 | 紫雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 瑞聖寺 |
宗派 | 黄檗宗系単立 |
住所 | 港区白金台3-2-19 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 山手七福神の布袋尊 |
瑞聖寺の縁起
瑞聖寺は、青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)創建したといいます。
「芝區誌」による瑞聖寺の縁起
瑞聖寺 白金臺町一丁目四十一番地
黄檗宗山城宇治萬福寺末で、紫雲山と號する。同派の東京宗務院であり、関東黄檗派の巨刹と稱せられる。現在三十五區全體でも、本宗派に属する寺はわづかに十ヶ寺しかないが、本寺は其中の一つである。寛文十年五代将軍の特旨を奉じ、今の地を相して創建し、翌年六月将軍から當寺を以て一宗の僧統と爲し、特に十萬石の格式を賜はつた。開基を僧瑞山、開山を歸化僧木庵といふ。二世開山は鐵牛である。堂後の築山は文化年間の築作で、丘上に石碑がある。経堂には僧了翁の蔵経が納めてある。舊堂は屡〃火災にかかつて亡ひ、現存の堂宇は文政年間に建立せられた明式の建築物で、他の宗派の寺院建築とは頗る異つた感じを與へる。即ち屋根は二重になつて居り、其様式は黄檗派の典型的建築法を採つてゐる。維新以前は伽藍の壮麗、境内の殷賑、共に見るべきものがあつたが、其後漸く荒廢して、僅かに昔日の面影を残してゐるに過ぎない。唐僧傳来の白金名物唐豆腐と稱するものが此附近にあつた。(「芝區誌」より)
瑞聖寺所蔵の文化財
- 瑞聖寺大雄宝殿(国指定重要文化財)
- 木造釈迦如来及び阿難・迦葉像(港区指定有形文化財)
木造釈迦如来及び阿難・迦葉像
瑞聖寺は、黄檗宗寺院として江戸において初めて建立されたものです。開基は青木甲斐守重兼で、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔が開山として招請され、寛文11年(1671)に落成しました。
本尊釈迦如来坐像(寄木造)は、体部背面に金泥で記した「寛文十一辛亥」の銘があり、瑞聖寺開山の時の造像であったことがわかります。また、頭部内刳面に「音羽仏師祐運次郎兵衛」の墨書銘があり、京仏師の作とわかります。
両脇侍の阿難・迦葉立像(寄木造)も、釈迦如来像の一具像として、保存もよく、伝存するのは貴重です。
中国明時代の様式を伝えた、区内における稀有の作例として貴重です。(港区教育委員会掲示より)
瑞聖寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」