槃舟山願生寺|牛供養塔
願生寺の概要
浄土宗寺院の願生寺は、槃舟山易往院と号します。願生寺は、證蓮社誠誉上人尋西和和尚(寛永九壬申年三月十日寂)が開山となり、慶長7年(1602)に創建したといいます。江戸時代、門前には重量物の運搬をするための牛屋が建ち並んでおり、牛屋7軒で牛の霊を祀った牛供養塔が境内に残されています。
山号 | 槃舟山 |
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院号 | 易往院 |
寺号 | 願生寺 |
住所 | 港区高輪2-16-22 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
願生寺の縁起
願生寺は、證蓮社誠誉上人尋西和和尚(寛永九壬申年三月十日寂)が開山となり、慶長7年(1602)に創建したといいます。(公式サイト:願生寺|港区高輪にある牛供養で有名な浄土宗のお寺)
「芝區誌」による願生寺の縁起
願生寺 車町十六番地
浄土宗三田願海寺の末寺で、槃舟山易往院といふ。慶長七年の創立と傳へられ、開山誠譽は寛永九年三月寂した。(「芝區誌」より)
願生寺所蔵の文化財
- 牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔(港区指定文化財)
牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔
牛供養塔は、願生寺門前の車町の牛屋七家によって、牛供養のため元文3年(1738)に建立されたのをはじめとします。車町は属に牛町ともいい、江戸幕府が江戸城増築などの際に重量物の運搬をするために招いた京都牛町の牛屋をこのあたりに常住させていました。現在の塔正面に刻まれた「南無阿弥陀仏」の題字は江戸時代の中期の高僧祐天上人(1637-1718)の書を写し刻んだもので、文政11年(1828)に建立されたものである。祐天は、将軍から庶民にいたるまで生き仏として尊敬された人物で、その功徳を願って筆跡を写し、建てられたものと思われます。
二千七百六十人之霊供養塔は、元禄2年(1689)から文政13年3月15日までに無縁となった人々の霊の供養のために文政13年に建立された供養塔です。碑正面には牛供養塔と同様に祐天上人の筆跡を写した「南無阿弥陀仏」の文字が彫られています。
江戸で唯一の牛町の存在を伝える歴史資料として、また庶民の信仰を示す資料としても貴重といえます。(港区教育委員会掲示より)
願生寺の周辺図
参考資料
- 「芝區誌」
- 公式サイト:願生寺|港区高輪にある牛供養で有名な浄土宗のお寺