出世稲荷神社|川越藩主が参勤交代の折に出世祈願
出世稲荷神社の概要
出世稲荷神社は、練馬区旭町にある稲荷神社です。出世稲荷神社の創建年代は不詳ですが、川越藩主が参勤交代の折に出世祈願を掛けたことから出世稲荷と称されるようになったといいます。当社の拝殿は、深川神明宮の旧本殿を貰い受けて移築したものだそうです。
社号 | 出世稲荷神社 |
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祭神 | 稲倉魂命 |
相殿 | 厳島姫命 |
境内社 | 大鳥神社 |
祭日 | 例大祭7月15日 |
住所 | 練馬区旭町3-17-4 |
備考 | - |
出世稲荷神社の由緒
出世稲荷神社の創建年代は不詳ですが、川越藩主が参勤交代の折に出世祈願を掛けたことから出世稲荷と称されるようになったといいます。当社の拝殿は、深川神明宮の旧本殿を貰い受けて移築したものだそうです。
練馬区教育委員会掲示による出世稲荷神社の由緒
本社の創建は詳らかではありませんが、小島家文書(練馬区指定文化財)の「享和四年(1804)二月豊島郡土支田村、村方之儀明細書上帳下書」に「稲荷社長弐間横八尺」と記されています。
「出世稲荷神社」の名称がついた理由は、次のように伝えられています。「この北方に川越街道があるので、昔、川越城主が江戸との間を往復する時、出世の祈願をしたところから、いつしかこの名がつけられ(中略)松平信綱や柳沢吉保のように老中、大老の要職についた大名があり、(中略)そうした大名が、出世を祈願してお詣りをしたので評判になったのであろう。」(練馬の伝説より)
昔は小さな祠でしたが、もとの祠を後ろに移転して本殿とし、深川神明宮から移築した社殿を幣殿、拝殿として現在のような社殿としたものです。
鳥居の手前右手に、「出世稲荷大明神」明治十五年(1882)の社号塔があります。また、稲荷神社には普通狐型の狛犬がありますが、境内には別に獅子型の狛犬がおかれています。これは、大正末期から第二次世界大戦頃までこのあたりにあった兎月園という遊園地内の神社に置かれていたといわれるもので、地域の歴史をものがたるものといえます。
境内にのこる樹木は、昔の面影をよく残しています。(練馬区教育委員会掲示より)
「練馬の神社」による出世稲荷神社の由緒
創祀不詳。昔は小さな祠であった。現在の社殿が成ったのは昭和四三年(1968)のことである。元の祠を本殿とし、拝殿は深川神明宮(江東区)改築に際しその本殿を貰い下げて移築し、儀式殿は新築した。さらに昭和五七年(1982)境内地模様替えを施工し、裏参道も付け替えた。
当社の出世稲荷の名称は、詳かではないが、江戸時代、川越城主が参勤交代の折、当社に出世祈願を掛けたことから始まると伝えられている。
境内石造物で古いのは、明治一五年(1882)の出世稲荷神社と刻んだ神社名碑である。なお、裏参道には大きな獅子型の大正七年(1918)の狛犬がある。
境内が狭いわりには大樹が多い。老木と見られるクロマツをはじめとして、アカマツ、シラカシ、それに多いのはイヌシデである。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による出世稲荷神社の由緒
御創祀不詳。江戸時代、川越の城主が参勤交代のおり、当社に出世祈願を掛けたとことから、出世稲荷と呼ばれるようになった。(「東京都神社名鑑」より)
出世稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」