羽根沢稲荷神社|練馬区羽沢の神社
羽根沢稲荷神社の概要
羽根沢稲荷神社は、練馬区羽沢にある稲荷神社です。羽根沢稲荷神社の創建は不詳ですが、社殿内の石祠に「嘉永7年(1854)」の銘があることから、江戸時代後期には須賀神社と共に稲荷神社が創建されていたと考えられ、須賀神社はその後羽根沢稲荷神社に合祀されたといいます。
社号 | 羽根沢稲荷神社 |
---|---|
祭神 | 保食神 |
境内社 | - |
相殿 | - |
祭日 | 例大祭2月初午日 |
住所 | 練馬区羽沢2-22-19 |
備考 | - |
羽根沢稲荷神社の由緒
羽根沢稲荷神社の創建は不詳ですが、社殿内の石祠に「嘉永7年(1854)」の銘があることから、江戸時代後期には須賀神社と共に稲荷神社が創建されていたと考えられ、須賀神社はその後羽根沢稲荷神社に合祀されたといいます。
「練馬の神社」による羽根沢稲荷神社の由緒
創建の年代は明らかではないが、社殿内の石祠には「嘉永七甲寅年(一八五四)一月吉日」と刻まれている。現在の境内は昭和四五年(一九七〇)に造成し直されて上下二段に分けられた。その上段に社殿は新築され、鳥居も設けられた。下段は現在、ゲートボール場として利用されている。
造成前の社地には、向かって右側に須賀神社、左側に羽根沢稲荷神社があった。須賀神社は今は羽根沢稲荷神社に合祀され、須賀神社の額は社殿内に納められている。氏子数は、昔は須賀神社の方が多く、羽沢・羽根木・前湿化味(まえしっけみ)・宿湿化味(しゅくしっけみ)の四つの字にわたっていたが、稲荷神社の方は宿湿化味を除く三字の四十軒ほどであったと言う。
境内にある石造物で古いのは慶応二寅年(一八六六)二月吉祥日銘の水盤である。なお、嘉永二年(一八四九)七月、前湿化味講中奉納の不動明王座像がある。これは石神井川町田堤上に在ったものを昭和の初め耕地整理に当って修補したものを更に当境内に移したことが傍の由来記(昭和五〇年建碑)に述べられている。
二月初午の祭りには、昔はおびしゃと称して、罪を許し合い、五穀豊穣を祈った。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による羽根沢稲荷神社の由緒
不詳(「東京都神社名鑑」より)
羽根沢稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」