氷川神社|近郷51字の総鎮守、旧郷社
氷川神社の概要
氷川神社は、長禄元年(1457)に渋川義鏡が下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀む所にこんこんと湧き出ている泉を発見し、兵を休めて須佐之男命を祀り、武運長久を祈ったのに始まります。延享年間(1744-48)に海老名左近が現在地に遷して、51字の総鎮守になり、明治5年には郷社に指定されました。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 須佐之男尊 |
境内社 | 稲荷社、北野社、須賀社、出雲社 |
相殿 | - |
住所 | 練馬区氷川台4-47-3 |
備考 | - |
氷川神社の由緒
氷川神社は、長禄元年(1457)、渋川義鏡が下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀む所にこんこんと湧き出ている泉を発見し、兵を休めて須佐之男命を祀り、武運長久を祈ったのに始まります。延享年間(1744-48)に海老名左近が現在地に遷して、51字の総鎮守になり、明治5年には郷社に指定されました。
「練馬の神社」による氷川神社の由緒
本社の創建は、社伝によると長禄元年(1457)、渋川義鏡が古河公方足利成氏との戦の途上、下練馬で石神井川を渡ろうとした時、淀む所にこんこんと湧き出ている泉を発見(これがおはま井戸)、兵を休めて須佐之男命を祀り、武運長久を祈ったのに始まるという。後に延享年間(1744-48)に海老名左近が現在地に遷して、51字の総鎮守になったと伝える。明治5年郷社となる。
古い石造物としては、延享4年(1747)銘の角柱型水盤、安永4年(1775)銘の鳥居、天明7年(1787)銘の狛犬、文久年中(1861-64)銘の力石がある。社殿に面しては神楽殿が建つ。本殿は石造の覆屋の中にあり、その裏には各町会の神楽庫が13棟並ぶ。他に征清記念碑(明治30年)、日露戦役記念碑(明治43年)がある。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による氷川神社の由緒
長禄元年(一四五七)渋川義鏡が足利成氏との戦いの途上、北豊嶋郡下練馬を渡ろうとして石神井川に出会い、よどむところに泉こんこんと湧出、これをもって兵を休め、須佐之男尊を祀り、武運長久を祈った。延享年間(一七四四-八)に海老名左近により、現在地(旧観音山)に神社を遷座して、五十二子の総鎮守となった。(「東京都神社名鑑」より)
氷川神社所蔵の文化財
- 氷川神社鶴の舞(練馬区指定文化財)
- 神輿渡御行列図絵馬(練馬区指定文化財)
- 神輿渡御の御供道中歌(練馬区登録文化財)
- 氷川神社の狛犬(練馬区登録文化財)
- 角柱型水盤(練馬区登録文化財)
- 大氷川の力石(練馬区登録文化財)
氷川神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」