大松氷川神社|下練馬村小名大松
大松氷川神社の概要
大松氷川神社は、練馬区北町にある氷川神社です。大松氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には下練馬村小名大松で祀られてきたといいます。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 建速須佐之男命 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽神社、稲荷神社、白山神社、大神宮社、諏訪神社、浅間神社 |
住所 | 練馬区北町8-22 |
備考 | - |
大松氷川神社の由緒
大松氷川神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には下練馬村小名大松で祀られてきたといいます。
練馬区教育委員会掲示による大松氷川神社の由緒
当社は「大松の氷川様」といわれてきました。大松とは下練馬村の小字の名です。
祭神は建速須佐之男命です。境内社に御嶽神社(日本武尊)、富士神社(木之花開邪姫命)、稲荷神社(伊邪那美命)などがあります。
さらに、この神社の特徴として参道脇に富士塚があります。江戸時代中頃から、江戸を中心に盛行した、富士信仰の丸吉講によって築かれたものです。頂上の石宮は天保六年(一八三五)再建、塚中腹の御手洗石は同九年(一八三八)再建と刻まれていますから、それ以前の築造であることにちがいありません。ほかに明治・大正時代の富士登山記念碑などがあります。ちなみに、鈴原神社の碑は富士山一合目にある同神社の登拝記念に建てたものです。これらの境内社や石造物から、当社は江戸時代より練馬近在の富士講・御嶽講など民間信仰の中心であったことがうかがわれます。(練馬区教育委員会掲示より)
「練馬の神社」による大松氷川神社の由緒
由緒、創建については不詳であるが、境内社の数や石造物からも、江戸時代から当地の人々の信仰の中心であったことが窺われる。『北豊島郡神社誌(4)』に「昭和三年(一九二人)十月二十日現社殿建築」とあるのが今の社殿で、他に神楽殿、神輿庫(神輿二基)がある。
境内石造物で古いのは一の鳥居で寛政一二年(一八〇〇)、狛犬が天保一三年(一八四二)である。二の鳥居は木造四脚。明治二五年(一八九二)の幟石は参道と裏門の二か所にある。他に奉納コンクリート敷石全部記念碑(昭和一三年)、日露戦役紀念碑(明治四三年)、招魂碑(昭和四五年、大東亜戦争戦役者三九名)が建つ。
境内には丸吉講による富士塚があり、登山道入口には、平成一七年(二〇〇五)鳥居が再建された。石祠(奥社)は天保六年(一八三五)のもので、文政一〇年(一八二七)、天保九年(一八三八)の水盤もある。石造物は数多く、御嶽(御嶽講)、伊勢(練馬講)、富士(富士講)の紀念碑など、古来この近在の信仰を集めていたことがわかる。なお、明治一〇年奉納の力石がある。
境内樹木の大樹としては幹回り三・一mのクスノキがある。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による大松氷川神社の由緒
不詳。昭和三年十月二十日、現在の社殿竣成。(「東京都神社名鑑」より)
大松氷川神社所蔵の文化財
- 氷川神社富士塚(練馬区指定文化財)
大松氷川神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」