中村八幡神社|旧中村鎮守、旧村社
中村八幡神社の概要
中村八幡神社は、練馬区中村南にある八幡神社です。中村八幡神社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(一六四四-八)以前の創建と伝えられ当地中村の鎮守社となっていたといい、明治7年には村社に列格していました。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | 須賀神社、三社神社(熊野・伊邪那美神、北野・菅原道真公、秋葉・火産霊神)、御嶽神社 |
祭日 | 例大祭9月第二日曜又は第三日曜 |
住所 | 練馬区中村南3-2-1 |
備考 | 旧中村鎮守、旧村社 |
中村八幡神社の由緒
中村八幡神社の創建年代等は不詳ながら、正保年間(一六四四-八)以前の創建と伝えられ当地中村の鎮守社となっていたといい、明治7年には村社に列格していました。
「練馬の神社」による中村八幡神社の由緒
新編武蔵風土記稿中村の項に「八幡社 村ノ鎮守ナリ。南蔵院持。……」とあり、江戸末期には南蔵院が別当寺であった。また北豊島郡神社誌は「創立年代不詳ナルモ、徳川時代ヨリ、当中村町ノ産土神トシテ崇敬厚ク、明治七年四月、東京府ヨリ村社二指定セラレ、現在二及ブ。」「氏子 中新井村大字中全部(板橋区中村町全部)四百五十戸」と記し、中村の中心的な社であったことを示している。なお 「東京都神社名鑑」では、旧名主家の言い伝えでは、正保年間(1644-48)以前の創建であるとされる。
境内にある石造物で古い銘は、水屋にある水盤の 「文政13年(1830)11月吉日」で、正面に大きく卍印をつけ、神仏混清時代の名残りをとどめている。社殿は覆屋の中の本殿が安永2年(1773)の再建、拝殿が慶応2年(1866)改築と言われている。 神楽殿は昭和47年(1972)の新築である。なお三社神社前には文政10年(1827)12月吉日銘の狛犬がある。 大正6年(1917)に祭典用地を中新井村・堀之内村・中村の有志三名が寄付している。現社地約358坪中の215坪である。氏子の信仰の深さと氏子範囲の広さを示している(祭典用地奉納記念碑)。
また日露戦役紀念碑(明治39年)等の前には陰刻のある6個の力石がある。(「練馬の神社」より)
練馬区教育委員会掲示による中村八幡神社の由緒
八幡神社
この八幡神社は旧中村の村社で、祭神は応神天皇です。「新編武蔵風土記稿」に「村ノ鎮守ナリ、南蔵院持」とあります。南蔵院はここから東方約400mにある真言宗の古刹で、江戸時代は当社の別当寺でした。
本殿は、社伝によると、江戸時代前半のものといわれ、練馬区内でも屈指の古建築物です。
境内本殿向って左手にある文政13年(1830)奉納の御手洗石に卍の彫刻のあるのが目につきます。神仏混淆時代の名残りをとどめる石造遺物として注目されます。記念碑のまわりには、むかし若者たちが力競べに興じた力石があります。なかには目方が彫ってあるものもあります。
当社裏の一角に「首つぎ地蔵」があります。首と別々にあった地蔵尊が、信心深い二人のひとの夢枕に立った結果、首と体を継ぐことができたと言い伝えられています。その名にちなみ昭和初期の不況時代には「首切り」を免れようと、参詣者でにぎわったといいます。ここは廃寺となった南蔵院の末寺・西光寺の旧地にあたります。地蔵堂の前の石造物がわずかにその面影を残しています。(練馬区教育委員会掲示より)
「東京都神社名鑑」による中村八幡神社の由緒
創建年代不詳。旧名主のいい伝えによると、正保年間(一六四四-八)以前の創建で、当村の鎮守として村民に崇敬された社である。現在の本殿中の神殿は、安政二年(一七七三)の再建で、拝殿は慶応二年(一八六六)改築とされている。(「東京都神社名鑑」より)
中村八幡神社所蔵の文化財
- 八幡神社の本殿(練馬区登録文化財)
八幡神社の本殿
覆屋に納まっている小祠。一間社、流造り、こけら葺。八角柱で土台建。向拝や虹梁の彫刻は素朴で、外面全体は赤く塗られていた痕跡がある。区内では古い建築物で、十七世紀頃の建築と推定される。(練馬区教育委員会掲示より)
中村八幡神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)