豊玉氷川神社|練馬区豊玉南の神社、中荒井村鎮守

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豊玉氷川神社|天満宮として創建、旧中荒井村の鎮守

豊玉氷川神社の概要

豊玉氷川神社は、練馬区豊玉南にある氷川神社です。豊玉氷川神社は、創建不詳ながら、当初は、北野神社を主祭神としていたと伝えられ、次いで須賀神社、そして現在の氷川神社へと遷移していったといいます。また、隣接する天満山正覚院は、当地にあった天満宮の別当として、長禄年間(1457-60)に創建したと伝えられることから、室町時代には既に天満宮として創建していたことが窺えます。いつの頃か氷川社となり、江戸期には中荒井村の鎮守として崇敬され、明治5年には村社に列格していました。

氷川神社
氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐之男命
相殿 -
境内社 須賀神社、北野天満神社、稲荷神社、三峯神社
住所 練馬区豊玉南2-15-5
備考 中荒井村鎮守、村社



豊玉氷川神社の由緒

豊玉氷川神社は、創建不詳ながら、当初は、北野神社を主祭神としていたと伝えられ、次いで須賀神社、そして現在の氷川神社へと遷移していったといいます。また、隣接する天満山正覚院は、当地にあった天満宮の別当として、長禄年間(1457-60)に創建したと伝えられることから、室町時代には既に天満宮として創建していたことが窺えます。いつの頃か氷川社となり、江戸期には中荒井村の鎮守として崇敬され、明治5年には村社に列格していました。

「練馬の神社」による豊玉氷川神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」中荒井村の項に「氷川社、村の鎮守なり。例祭9月18日。正覚院持。末社牛頭天王、天神、稲荷」とある。「東京府志料」に「創建詳ならず。明治5年11月村社となる」、「北豊島郡誌」には「境内老樹林立し風向佳なり、当社の神木老杉は付近に有名なる大木にて包三囲に余れり、外に大杉樹2株社殿の後にあり。と記されている。社伝によればこの杉は、古損のため昭和12年、同20年に伐採された際、年輪が各700年、600余年を数えたので、当社の神域が鎌倉時代の開創であることを物語るとしている。当社の創建は不詳だが、武蔵国一の宮氷川神社の分霊の社と伝える。初めは現在境内社の北野神社が最も古くて主神、次いで須賀神社が主神となり、その後時期は明らかでないが氷川神社が主神になった。
境内石造物では稲荷神社前[天明4年]1784と北野天満神社前[文化13年1816]の水盤が最も古い。社殿は須賀神社の上屋を本殿とし、昭和3年の建築である。その際、元の拝殿は移築して神楽殿とした。この旧拝殿は江戸時代後期の建築で、昭和59年新神楽殿が造られると、絵馬堂として使われ今は額殿と呼んでいる。力石は8個あり、35貫目などの陰刻がある。他に正徳元年(1711)と同5年(1715)の笠付庚申塔、日露戦役従軍記念碑(明治39年)、須賀神社敷石記念碑(大正5年)、三峯神社鳥居建設記念碑(大正12年)、社殿改築記念碑(昭和3年)がある。
須賀神社の祭礼は最近まで天王様の祭りと言われ、江戸時代の終わりに作られたと言われる神輿が出て、近郷近在から多くの人が集まったようである。この祭りは今も6月15日に行われている。神輿庫には本社と六町会の神輿がある。
境内樹木は、幹回り2.6mのカヤの大樹をはじめとしてイチョウ、イヌシデ、サクラがある。(「練馬の神社」より)

練馬区教育委員会掲示による豊玉氷川神社の由緒

本社は旧中新井村(現在の豊玉地区)の鎮守で、祭神は素戔嗚命です。境内末社に北野・須賀・稲荷・三峯の各社があります。
社殿によると、主神は北野神社が最も古く、次いで須賀神社、その後、大宮一宮の分霊を勧請して氷川神社を主神にしたといいます。すでに江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には、「氷川社」の記載があります。
境内南西側の旧神楽殿は、元氷川神社の拝殿で、文化八年(一八一一)の棟札があります。この建物は釘を一切使わない、組込式の建築技法を用いています。
古い土地の人は、須賀神社を「天王さま」と呼びます。天王様の祭礼は、昔は旧暦六月十五日でしたが、この祭には文化十年作と伝える神輿の渡御があります。田んぼの中を暴れ廻るというので「中新井天王さまの暴れ渡御」と近郷・近在で有名でした。今も九月の祭礼には変わらぬ姿で、往時を偲ばせます。(練馬区教育委員会掲示より)

「東京都神社名鑑」による豊玉氷川神社の由緒

創建年代不詳。従前より武蔵国足立郡大宮、一の宮氷川神社御分霊の社と氏子に伝承されている。古老の伝には、文明八年(一四七六)太田道灌濯が石神井・練馬の両城を攻めたとき、江古田原の合戦のおり、当社に賽し、戦捷したことにより、太田道灌の祈願所として崇敬したことを今も伝えられている。当社の末社北野神社は太田道灌の祈願所である伝えあり、このあたりを天満山といっている。この北野神社後方に御神木(杉、目通り二丈余)古損したために、昭和十二年伐採した折の樹齢七百年、当社前の御神木(杉、目通り一丈六尺)を昭和二十年四月伐採の樹齢六百余年を数える。これにより、鎌倉時代よりこの地の鎮守として崇敬されていたことが推察できる。(「東京都神社名鑑」より)


豊玉氷川神社所蔵の文化財

  • 旧拝殿(練馬区有形文化財)
  • 力石(練馬区有形民俗文化財)
  • 神輿(練馬区有形文化財)

豊玉氷川神社の神輿

氷川神社境内社の須賀神社に伝わる神輿です。修理・後補がなされているため、制作年代は不明ですが、飾り収納箱の蓋の裏側に「文化十年(一八一三)癸酉六月吉日 中荒井村惣村中」の墨書があり、江戸時代までさかのぼる可能性があります。総高は一七六cm、轅を除く最大幅は一一九cmで方形造りです。
現在は、祭礼の際に拝殿内に置かれるのみですが、昭和三十年代までは担がれていました。(練馬区教育委員会掲示より)

豊玉氷川神社の周辺図


参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」