大泉氷川神社|練馬区大泉町の神社

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大泉氷川神社|旧橋戸の鎮守

大泉氷川神社の概要

大泉氷川神社は、練馬区大泉町にある氷川神社です。大泉氷川神社の創建年代等は不詳ながら、白子村字橋戸に土着した住民が創祀、明治7年には村社に列格していました。

大泉氷川神社
大泉氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐之男命、大己貴命、稲田姫命
境内社 稲荷神社(稲倉魂命)、白山社(菊理姫命)、弁天社(市杵島姫命)、御嶽神社
相殿 愛宕神社(祭神、香具槌命、火産霊命)
住所 練馬区大泉町5-15-5
備考 -



大泉氷川神社の由緒

大泉氷川神社の創建年代等は不詳ながら、白子村字橋戸に土着した住民が創祀、明治7年には村社に列格していました。

練馬区教育委員会掲示による大泉氷川神社の由緒

当社の創立年月日は定かでありませんが、武蔵国一の宮氷川神社への崇敬の念から勧請したもので、明治維新におよび、村民はここを当村(橋戸村)の鎮守と定め、明治7年に村社となりました。
祭神は須佐之男命、大己貴命、稲田姫命で、相殿に愛宕神社(祭神、香具槌命、火産霊命)、境内社に稲荷神社、白山神社、弁天社、御嶽神社があります。
明治13年(1880)社殿の改築が行われましたが、社殿の老朽化に伴い、昭和50年にいたり鉄筋コンクリート造り、銅板葺・流造に改築されました。
稲荷神社は江戸時代、橋戸村に所領をもっていた伊賀組衆の守護神として祀られていましたが、明治維新後、村民に下げ渡されました。もと村内愛宕社にあったといいます。
稲荷神社の鳥居右手に嘉永2年(1849)伊賀組衆108名が奉納した御手洗石があります。それには、天正18年(1590)徳川家康の入府に従って、江戸周辺に給地を賜った伊賀衆の由緒が漢文で刻まれています。同時に奉納した石鳥居は破損して境内に保存されています。
境内にはそのほか昭和7年市域合併記念の石灯籠や荘氏由緒碑があります。
当社は南に白子川を望む丘陵に位置し、四季を通じて深い緑につつまれています。

「練馬の神社」による大泉氷川神社の由緒

「新編武蔵風土記稿」橋戸村の項に「氷川社 村民庄忠右衛門ガ宅地ノ内ニアル小祠。祭神は在五中将ナリ。其家ニテハ。中将東国下向ノ時。庄春日江古田ト云3人ノモノ慕ヒ来リテ。此地ニ祭リシト相伝レドモ。信ズベカラズ」とある。当社は、新倉郷白子村字橋戸に土着の村民が、武蔵国一の宮氷川神社への崇敬の念から勧請奉斎したものであるが、創建年代は定かでない。「新座郡村誌」橋戸村には「氷川社、村社社地丁字形をなし、村の西南にあり」と記され、「北豊島郡誌」大泉村では「村社氷川神社、旧橋戸村の鎮守神社にして」とある。明治7年橋戸村の村社とされ、明治24年大泉村が成立すると、その村社となった。氏子は大泉村大字橋戸全部で百戸であった。(以下省略)(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による大泉氷川神社の由緒

創立年月日は定かでないが、文永年中(一二六四-七五)といい伝えられる。当社は、新倉郷白子村字橋戸の村に土着の村民たちは常々武蔵国一の宮氷川神社の崇敬の念厚く、ために勧請奉斎せられたもので、明治維新におよび村民たちは当村の鎮守と定め、明治十三年に御社殿改築、翌十四年落成、昭和四十八年に至り明治維新百年の記念として、楠の木の植樹を行なうとともに、御社殿も年とともに老朽となったので、氏子崇敬者の総意をもって現在の鉄筋コンクリート造の御社殿に改築、昭和五十年九月落成、十月十日竣工祭執行、ならびに同夜御遷座祭をおごそかに斎行現在至る。(「東京都神社名鑑」より)


大泉氷川神社所蔵の文化財

  • 伊賀衆奉納の水盤・鳥居(練馬区指定文化財)

大泉氷川神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」