八坂神社|練馬区大泉町の神社

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八坂神社|旧称天王社、橋戸村の鎮守

八坂神社の概要

八坂神社は、練馬区大泉町にある神社です。八坂神社の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に記載があり、江戸時代には天王社と称して、橋戸村の鎮守社として祀られていたといいます。

八坂神社
八坂神社の概要
社号 八坂神社
祭神 須佐之男命
境内社 稲荷神社(稲倉魂命)、浅間神社(木花咲耶姫命)、御嶽神社(国常立命)
相殿 -
住所 練馬区大泉町1-44
備考 -



八坂神社の由緒

八坂神社の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に記載があり、江戸時代には天王社と称して、橋戸村の鎮守社として祀られていたといいます。

練馬区教育委員会掲示による八坂神社の由緒

当社は旧橋戸村の鎮守で、祭神は須佐之男命です。いつの頃か、京都八坂神社(祇園社)の分霊を勧請して創建されました。祇園社の守護神は牛頭天王であり、この辺りの字を「中里」といったので、村人からは「中里の天王様」と親しまれてきました。 境内末社に稲荷神社、浅間神社、御嶽神社が奉祀されています。額堂には江戸時代からの絵馬が数多く奉納されています。またむかしから境内の樹木を折ると熱病にかかるという言い伝えがあります。

「練馬の神社」による八坂神社の由緒

創建年代不詳。「新編武蔵風土記稿」橋戸村の項に「天王社、除地1町小名中里ノ耕地ニアリ。3間四方ノ社。村ノ鎮守ナリ。鎮座ノ年暦知ラズ。当村忠右衛門。小榑村角左衛門ノ持。」とあり、江戸時代には天王社と呼ばれていた。(以下省略)(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による八坂神社の由緒

年代不詳。『新編武蔵国風土記稿』によれば、「神社天王社除地一丁、小名中里の耕地にあり、三間四方、社殿鎮座年歴不明、当村忠右衛門・小樽村角左衛門持」とある。他説には、武蔵国新座郡小樽村字中島名主高橋良三郎個人所有とある。代々襲名家柄にて、先代が京都八坂神社御分霊を奉斎すとある。社歴も明治初年まで同家に保存されたる由、その後、絶家、記録散逸し、北大泉町の小樽村は明治三年十月品川県、同六年六月入間県、同八年十二月熊谷県と管轄が転移し、同二十二年町村制施行にさいし、橋戸・小樽両村合し樽橋村と改称、同二十四年東京府へ移管されたるも、府は傍証の記録保存なし。つぎに『北豊島総覧』に当社伝説として境内樹木を折取る者は熱病にかかるといわれ、現在も守っている。また同社の氏子は胡瓜を作らぬ。八坂神は瓜を嫌い、これを食した者は神罰を受けるの伝説があるが、これは、胡瓜の切り口が、御神紋に似ているためだともいわれている。境内に今も残る富士塚は、富士山信仰の塚として、毎年山開きが行なわれている。(「東京都神社名鑑」より)


八坂神社所蔵の文化財

  • 中里の富士塚(練馬区指定文化財)

中里の富士塚

中里の富士塚は、南側の基部からの高さが約12メートル、径が約30メートルあり、区内最大規模の富士塚です。明治初期に講中によって築造されたといわれていますが、文政5年(1822)の石碑があることから江戸時代すでにその原型があったと思われます。合目石に沿って頂上まで登ると、36基の石造物があります。中でも道祖神の碑は区内で唯一のものです。毎年8月1日に山開きが行われます。(練馬区教育委員会掲示より)

八坂神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」