武蔵野稲荷神社|太田道灌に滅ぼされた豊島氏を祀る塚の上に鎮座
武蔵野稲荷神社の概要
武蔵野稲荷神社は、練馬区栄町にある稲荷神社です。武蔵野稲荷神社の創建は不詳ですが、当社本殿は小高い塚の上に鎮座しており、その塚は文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えがあることから、その塚の守り神として創建されたのではないかといいます。
社号 | 武蔵野稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之御魂神、月日十天上大神、弥栄天神 |
境内社 | - |
相殿 | - |
祭日 | 例大祭2月初午日 |
住所 | 練馬区栄町10-1 |
備考 | - |
武蔵野稲荷神社の由緒
武蔵野稲荷神社の創建は不詳ですが、当社本殿は小高い塚の上に鎮座しており、その塚は文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えがあることから、その塚の守り神として創建されたのではないかといいます。
「練馬の神社」による武蔵野稲荷神社の由緒
鎮座の年代は不詳。現在、本殿の建っている小高い塚は、瓢箪塚あるいは割塚(後が二個に割れているところから)とも言われた(明治初年の地図による)。また文明9年(1477)、江古田・沼袋の戦で太田道灌によって滅ぼされた豊島軍の死者を葬った豊島氏の塚との言い伝えもある。古い塚であることは確かで、その守りとして稲荷が祀られたと考えられる。塚には白狐が十数匹も棲んでいたので白狐塚とも言った。ある時死んだ子狐を埋めて供養し幼児がよく育つようにと祈ったのが子守塚だと言う。
明治、大正から昭和と、商家、歌舞伎役者、馬主、事業家等の信仰を集め、平成となった現在でも除災招福、病気平癒、商売繁昌の祈願が多い。弥栄天神は京都北野天満宮より勧請されたものである。
境内建造物は、大正7年(1918)建築の際儀殿を除いて、昭和50年から5ヶ年計画で、本殿、拝殿、鳥居、随神門と新築整備されたものである。その際、塚の後の割れている所は、本殿整備のため埋め戻された。手水舎は大黒が臼造りをしている珍しい作品である。
参道はサクラ、イチョウなどの落葉樹がトンネルのように茂り、春は花、秋は紅葉で彩られる。
なお、昔は「三の稲荷」とも言って、三の日の縁日が大変な人出で賑わったが、今は行われていない。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による武蔵野稲荷神社の由緒
明治・大正・昭和と三代にわたって、練馬のお稲荷さんと呼称されて、善男善女の信仰を集め、毎月三の日には縁日が立ち、植木市なども立ってたいへんに賑わったといわれる。
所属は教派神道に近く、何宗にも所属してなかったようであるが、病気なおし加持祈蒔が行なわれ、特殊信仰として人気を集め栄えてきたが、今度の大戦の混乱と主宰者の死等が重なって、社殿等も荒れ果てたままの状態となっていた。(「東京都神社名鑑」より)
武蔵野稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」