田柄天祖神社|上野伝五右衛門等が慶長3年に勧請
田柄天祖神社の概要
田柄天祖神社は、練馬区田柄にある天祖神社です。田柄天祖神社は、上野伝五右衛門等が慶長3年(1598)伊勢神宮の分霊を勧請、神明宮として邸内に祀ったのを創始とし、後年神明ケ谷戸一円の産土神として社殿を造営したといい、明治5年(1872)天祖神社と改称したといいます。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | 御嶽神社、稲荷神社 |
祭日 | 例大祭10月1日 |
住所 | 練馬区田柄4-27-5 |
備考 | - |
田柄天祖神社の由緒
田柄天祖神社は、上野伝五右衛門等が慶長3年(1598)伊勢神宮の分霊を勧請、神明宮として邸内に祀ったのを創始とし、後年神明ケ谷戸一円の産土神として社殿を造営したといい、明治5年(1872)天祖神社と改称したといいます。
「練馬の神社」による田柄天祖神社の由緒
『北豊島郡神社誌〈4)』に「由緒、当社ハ往昔神明宮ト称シタリシガ、里老ノ説ニヨレバ、慶長三年(一五九八)四月五日、上野伝五右衛門等伊勢神宮へ参詣シ分霊ヲ請ヒデ帰郷シ、邸内二奉安シタルヲ、後村民相図リテ社殿ヲ造営シ、神明ケ谷戸一円ノ産土神トシテ崇メタルモノナリト伝フ、而シテ天保五年(一八三四)社殿腐朽二帰シタルヲ以テ村人協力シテ之ヲ改造シ次デ明治五年(一八七二)四月五日天祖神社ト改称スト云フ。」とある。江戸時代は神明宮(神明社)と言ったが明治になってから天祖社と社名を改めた。
境内石造物は鳥居(明治一四年)、水盤が明治、燈籠・狛犬・神社名碑は昭和のものである。社殿、神楽殿は昭和三五年(一九六〇)に改築した。その他、富士岳神社大々御神楽奉奏紀念碑(大正九年)、富士登山紀念碑(昭和五七年)、終戦五十周年紀念碑(平成六年)がある。
なお、鳥居の東側に、水神宮の碑が見えるが、これが田柄用水記念碑(上練馬村玉川上水分水紀念碑、明治二六年)である。碑には玉川上水分水事情が記され、明治の初め、当地における分水の苦心を伝えている。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による田柄天祖神社の由緒
口碑によれば、慶長三年(一五九八)伊勢神宮の分霊を祀ったと伝える。その後、村民社殿を改築し、神明ヶ谷戸一円の氏神となる。天保年間(一八三〇-四四)に老朽化のため改築した。明治初年には社殿改築し、同年天祖神社と称した。(「東京都神社名鑑」より)
田柄天祖神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」